しめしていはく、しるべし、仏家には教の殊列を対論することなく、法の浅深をえらばず、ただし、修行の真偽をしるべし。

道元禅師著「辨道話」

教の優劣はなく、法の浅い、深いもない。ただし、修行の真偽を知りなさい。


「できるから善い、できないから悪い」ではない。

「できるからすぐれている、できないから劣っている」ではない。

「できるから深い、できないから浅い」ではない。

できるできないはどうでもいい。

「こうするから善い、こうするから悪い」ではない。

「こうするからすぐれている、こうするから劣っている」ではない。

「こうするから浅い、こうするから深い」ではない。

するとかしないとか、取捨選択ではない。

ただ、そうであるか、そうでないか。それは自己が知っている。

しかし、それは真偽だけの話ではない。

「真だから善い、偽だから悪い」ではない。

「真だからできる、偽だからできない」ではない。

「真だからする、偽だからしない」ではない。

できるできないの問題ではない。

するしないの選択ではない。

「真の修行、偽の修行」ではない。

「真の自己、偽の自己」ではない。

そうであって、そうでない。

真偽は修行である。修行は真偽ではない。

真偽は自己である。自己は真偽ではない。

善悪は修行である。修行は善悪ではない。

善悪は自己である。自己は善悪ではない。

何もつけ足さない。何も除かない。

自己に向き合ってはじめて感じられる感覚。

その感覚に耳をすませば、自ずと見えてくる。

子供が自転車の練習をしている。 まだ誰かが後ろで支えていないと乗ることができない。 左に傾き、右に傾き、何度も何度も自転車はバラ...
「できるか、できないか(I can do it or not)」ではない。 「するか、しないか(I do it or not)」である...

最後までお読み頂きありがとうございました。
伊丹禅教室の茶話会等と同じく、ご意見ご質問等あれば、お気軽にコメントをお寄せ下さい。コメント欄ご使用に際し、使用方法、運用方針を含め、こちらをご確認ください。コメント欄は本記事の最下部にあります。皆様のコメントを是非活用させてください。よろしくお願いします。

更新情報の配信はこちらから

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。