「法」ってたくさん意味がある。

仏法、諸法、説法、法則、法律、法界、無為法、有為法、法要、法事、法印、法語などなど……。法という言葉は仏教においてよく使われる言葉です。

ところで皆さんは、この「法」という言葉は、どのような意味で捉えているでしょうか?

おそらく、一般的には、法と言えば、法律をイメージすることが多いと思います。

しかし、仏教において「法」という言葉には、実に様々な意味が込められています。

ということで、今回は「法」という言葉についてまとめました。

「法」という言葉に込められた意味

「法」という言葉には、様々な意味がある。そのような意識を持ったのは、私が大学に通っていた頃でした。

日本語には、仏教由来の言葉も数多く存在します。その中には、同じ言葉でも、仏教での意味と一般的に使われている意味との間に大きな違いがある事を知りました。

完全に意味が違う場合から、似たような意味があるけど微妙に違う場合など、当初は講義の中でそれを考えるだけでも、ややこしい、煩わしいとさえ感じていました。

実はこの「法」という言葉は、私にとって、その中でも上位にランクインします。

「法」という言葉を知ろうとすればするほど、なんだか漠然として掴めない。意味が分からない。仏教の言葉の難しさにぶち当たった代表格です。

辞書や参考書にもいろんな意味が書いてあるのですが、正直わかりにくい。結果、法の意味について、自分の中である程度整理できてきたのも、実は仏教を学び始めてから、だいぶ後の事でした。

特に海外で仏教の言葉を英語に訳す時に、意味の使い分けを意識するようになってからでしょうか。

ちなみに「法」を英語に直訳すると、「Dharmaダルマ」が良く使われます。パーリ語のままです。「Dharmaってどういう意味?」となると、これが英語でもたくさん言葉が出てくるわけです。このことからも、「法」の意味を訳することが難しいことがよくわかります。

そんな中、私なりに整理した意味の分け方が以下の通りです。

  1. 教え
  2. 法則
  3. 事物
  4. 全て
  5. reality(真実・事実)

法 ≧ 教え

「法」には、「教え」という意味があります。

教えというのは、仏の教え、つまり仏教と言えます。

例えば、説法。お釈迦さんやその弟子達、仏教者達が、実際に言葉にして説く教え。そうして言葉や文字にされ、また理論立て、整理されたものが今、教えとして伝わっています。

そういう意味では、仏教は「法」と言えるわけですから、仏法とも言えますね。

「法」と「律」は別々の言葉

法と聞いてまず、一般的に思いつくのが、法律という言葉と思います。

しかし、上記のことを踏まえると、一般的に言われる法律の法と、仏教の「法」の意味の違いが見えてきます。

ちなみに、仏教においても「法」と「律」という言葉があります。

一般的に、法律は、規則(ルール)や規範と言った意味ですが、どちらかというとこれに近い仏教の言葉は戒律の「律」と言えるでしょうか。

律は、集団を正しき導いていく規則という意味です。

(戒と律とでも実は意味が違います。戒律について詳しくは法話にてお話ししていますので、ここでは割愛させてもらいます)

一方、「法」には、規則や規範などのような意味はありません。

しかし、「法」とは、教えという意味があります。

律も、お釈迦さんの説いた事、教えの一つですから、そういう解釈となると、律も「法」のうちの一つとなるわけです。

また、律という規則や規範を作るには、しっかりとした理論立て、理屈が必要です。ある程度の法則性というのでしょうか。そうなってくると、下記の「法 ≧ 法則」ともリンクしてくるわけですね。

講義や勉強でまとめると、こういう話になるのでややこしいですね。

単純に、「法 ≧ 教え。教え=言葉にされたもの」と理解しておくといいでしょう。

法 ≧ 法則

もうひとつ、法と聞いて、一般的に思いつく言葉に法則という言葉があると思います。

一般的に使われる法則の意味には、科学や数学など用いられる物理法則や方程式ような「一定の条件のもとで必ず成立する事物相互の関係」を意味します。

要するに、こうすれば必ずこうなるという法則の意味ですね。万有引力の法則やフレミングの法則などを例にあげるとわかりやすいでしょうか。

私自身、科学(サイエンス)の話がわりと好きな方です。宇宙や星の話、物質の話、細胞や人体の話などなど。

知らない事とだらけですが、その知らないことを少しずつ少しずつ明らかしていこうとする科学の話は、いろんな観点から物事を捉える上でも、とても興味深く感じています。

大学で仏教を学び始めた頃、教授が講義の中で「仏教は現在の科学と全く矛盾しない、むしろ理解を助けてくれている」という言葉も印象に残っていますが、実はそのような科学の話は、仏教の話とよく噛みあいます。

それは因果関係を説く縁起の教えからも読み取くことができます。

法 ≧ 事物

事物。つまり「ものごと」も、仏教では、「法」の意味に含まれています。

上記の法則、例えば万有引力の法則やフレミングの法則も物事を観察、検証することによって見出しました。

万有引力の法則を例に出すと、ニュートンが木からリンゴが落ちるのを見てひらめいたという話があります。ここでいう木やリンゴの様子、そういった物事の様子から法則性を見出したわけです。

これは実話ではないかもしれないとのことですが、要はリンゴでなくとも、そのような法則を見出すには、物事を観察、検証することが必要不可欠です。

そういった物事の観察は、仏教においても大切にされています。例えば、「無常」という教えも、そのような物事の観察の上で生まれてきた教えといっていいでしょう。

この世の中の物事はそうして、私達にいろんな事を教えてくれるので、「法」と言われるわけですね。

法 ≧ 全て

諸法実相という仏教の言葉があります。

すべての事物はありのまま、真実のありようを表している言葉です。

私の好きな言葉の一つです。そして、この場合の「法」は、全てのもの、あらゆるものと訳した方がしっくりきます。

上記の事物だけで説明すると、私達は、一つ一つの物・事に注目しがちです。例えば、ニュートンのリンゴのように。ただし、それはたとえリンゴでなくてもいいわけです。

リンゴだけが教えてくれるわけではなくて、桃でもいいし、鉛筆でもいいし、鉄でもいい。この世のあらゆるものがそれを教えてくれているわけです。

万有・・引力ですしね。全てのものが引き合う力を持っているわけです。ちなみに、引力と重力は意味が違いますし、またそれらが何故あるのかは、まだ誰も説明できません。

また仏教でいえば、例えば無常。これは、常なるものはない、あらゆるものは変化するという意味です。

その無常という事実は、あらゆる事物、全てが私達に教えてくれています。

そのように、この世のすべての物事は、私達がしっかりと目を開きさえすれば、必ず何かを教えてくれます。

英語では「Everything is teacher(全てものは先生である)」とも言っていましたね。

法 ≧ reality(真実・事実)

仏教辞典や仏教書などには、法には真という意味があるとあります。

しかし、私には真理という言い方はどこかしっくりきませんでした。

何故なら真理というと、どこか絶対的で特別なものというニュアンスがあるからです。そしてそれは、法≧全て=事物=法則=教えという意味にも矛盾を感じます。

そんなある時、海外の仏教書では「reality」という言葉を使われているのを目にしました。

真理は、英語では「truth」とも訳せますが、私はこの「reality」の方が、上記4つの意味とも矛盾しないように感じました。

「truth」は、「true」の名詞形です。こちらは、真実、本当、本物というような意味合いがある言葉ですね。本物に対する偽物があるという印象を受けます。

「reality」は、「real」の名詞です。こちらは、真実、本当、現実事実というような意味合いがあります。「realize」という動詞、気づくの意味にも派生します。

英語は日本語に比べて細かなニュアンスの違いを分けている言語ですから、こういう時に説明がしやすいのが利点です。

「法 ≧ reality」を日本語に訳すと、「法 ≧ 真実・事実」というのが妥当だと考えます。

法 ≧ ○○としているのは……

結論から言えば、法をどのように翻訳すればいいか、私自身、未だによくわからないというのが正直なところです。

というのも、「法」という文字は、仏教の中で、実に幅広く、いろんな意味で使われています。そこには、きっと私の知らない事もたくさんあるでしょう。

また、仏教は一つ一つの教えが決してバラバラではありません。一見、別々に見える教えもしっかりとつながっています。

例えば身体で表現するなら、皮、肉、骨、髄。

皮も、肉も、骨も、髄も違う部位です。

仏教に、皮の教え、肉の教え、骨の教え、髄の教えがあるとしたら、皆さんはどのように考えるでしょうか?

真髄を得るという言葉があるように、髄を得たら一人前。そう思う人は多いと思います。

法にも同じように、髄と言える部分がある。随に相当する言葉がある。そうして言葉を探そうとするでしょう。

しかし、実際は、皮も肉も骨も髄も確かにそれぞれ違う部位ですが、決してバラバラではありません。それは一体でなければ、ちゃんとつながっていなければ、身体ではありません。

皮、肉、骨、髄とつながっていなければ、皮は皮とは、肉は肉とは、骨は骨とは、髄は髄とは呼べないのです。

また、皮は表面的、髄は真髄とも思いがちですが、皮を本当の意味で理解するには、皮と関係する肉や骨、髄も知らなければなりません。

いや、それだけでなく、そうなると、私たちの体を構成する細胞の事や体を作る上で摂取する食事、水など、それはどこまでも広がっていきます。

私は、仏教の「法」という言葉は、そのような意味を含んでいると考えているので、結果、よくわからないのだと思うのです。

そのような意味を込めて、今回の記事では「法 ≧ reality = 全て=事物=法則=教え 」という形で説明させて頂きました。実際は「法 ≧ reality = 全て=事物=法則=教え = ○○ =……」となっていくわけですが……。

ちなみに、皮、肉、骨、髄の話は「正法眼蔵 葛藤」の巻から着想を得ました。

参考にして頂けると幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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