地によって倒れ、また地によって起き上がる。

地によって倒るるものは必ず地によりて起く。

地によらずして起きんことを求むるは、さらにうべからず。

正法眼蔵「恁麼」より

人は地につまづく。そして悩む。

地に足をすくわれ、よろめき、地に倒れ込む。そして苦しむ。

しかし、人は起き上がる。地に手をつき、足をつけ、地に支えられて、また立ち上がる。

地に足がつかなければ、起き上がることは叶わない。

地が悩みや苦しみの問題となると同時に、その問題こそが地となって、人は起き上がる。

悩みや苦しみに向き合うからこそ、それが支えになって、人は起き上がる。

例えば、人に話すということも、向き合うことの一つなのかもしれない。

悩みや苦しみを誰かに伝えるには、言葉にしなければならない。

自分自身に渦巻く何かを、ちゃんと言葉にしていかなければならない。

その何かは、そんな簡単に言葉にできるものじゃない。

言葉にするということは、そんなに簡単な事じゃない。

時には自分に渦巻く感情や想い、嫌な部分にも目を向けなければならない。

それでも伝わらないことがある。伝わらなければ、きっとそれは愚痴にしか聞こえないのだろう。

伝わらないなら、もっともっと、その何かに向き合って、一生懸命、言葉にしなければ伝わらない。

結局のところ、誰かに何かを話すという事は、そうやって、自分自身にも向き合うということだ。

向き合う事がなければ、どんなに言葉にしても、伝わらない……。

ならば、悩みや苦しみを誰かに話すという事は、既に解決の一歩を踏み出している。

半分解決しているどころではない。すでに、その一歩が、起き上がるということなのだろう。

そしてまた踏み出していくその足は、地によって支えられている。その地が、自分を支えてくれている。

Linus SchützによるPixabayからの画像

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