禅の言葉「日日是好日」

日日是好日にちにちこれこうにちは、唐代の禅僧、雲門文偃うんもんぶんえん和尚の有名な禅語です。

日日是好日の読み方について

インターネット等で調べると「にちにちこれこうじつ」と読まれていることが多いですが、私は「にちにちこれこうにち・・」と呼んでいます。

その理由は二つ。

  1. 禅学大辞典には「にちにちこれこうにち・・」と明記されているから。
  2. 単なる子どもの頃からの思い入れ

です。

2については、半分冗談として、禅学大辞典をはじめ、禅を扱った書物では「にちにちこれこうにち」とふりがなが打たれていることが多いので、私もそのように呼んでいます。

思い出

私が小学生の頃、首座法戦式(曹洞禅ネット)で弁事という配役をさせて頂きました。この弁事は、開口闍梨かいくじゃりといって、一番最初に問答(質問)を発する役目があります。

この問答は、予め問答集を暗記しておくわけですが、その時に選んだ問答が、まさにこの「日日是好日」についての問答でした。

そういう思い入れのある言葉だからでしょうか?

子どもの頃から今までに、出かけた先で、掛け軸や額縁に飾られた「日日是好日」の字を目にする度に、少し嬉しい気持ちになりました。

もちろん、子供の頃はその意味まで考えもしませんでしたが……(笑)

日日是好日に込められた意味を考える

それから十数年後……、大学生になって仏教に興味を持ちはじめ、やがて曹洞宗総合研究センターに在籍しました。

そこで開いていた駒澤坐禅教室(坐禅会)では、定期的に機関紙を出していました。

在籍している研修生(若手僧侶)で、順番に、その機関紙を担当していくわけです。そこで、「禅語り」という禅語を紹介するコーナーを担当する機会がありました。

その時、真っ先に思いついた禅語は、この「日日是好日」でした。というか、引き出しが少ないといったほうがいいのかもしれませんが……(笑)

兎にも角にも、そこで「日日是好日」について書いたのが、以下の文章です。

日日是好日

これは、唐代の禅僧である雲門文偃うんもんぶんえん和尚の有名な言葉です。その語の通りに読めば、「毎日は、良い日である。」という意味です。

しかし、私達が生きている日々の中には、楽しい日もあれば、悲しい日もあります。それが全て良い日とはどういうことなのでしょうか。

例えば、雨の日。

一般的に雨の日は、天気の悪い日と言われます。確かに雨で洗濯物が干せない、服が濡れる等、雨で困ることが多いと思います。

しかし一方で、雨は私達の飲み水になり、作物を育てる天の恵みでもあります。

同じ雨でも受け取り方一つで良くもなり悪くもなる。私達の思う良し悪しは、簡単に別物になってしまう脆弱(ぜいじゃく)なものです。ここでいう「好日」とはそういうことでは決してありません。

そのような自分中心に置く都合に振り回されずに、今あるこの一瞬一瞬を大切に生きていく。雨の日も晴れの日も、悲しい日も楽しい日も、その日々の一日一日が自分の一生の中のかけがえのない一日なのです。

この言葉には「今この瞬間を生きる」いう禅の生き方が込められています。

雨の日には雨の一時を、晴れの日には晴れの一時を存分に感じ、受け入れる。それはたとえ楽しい日でも悲しい日でも同じことです。悲しい時には思いっきり泣いて、楽しい時には腹の底から笑う。

それが日日是好日ということなのです。

〈福田 智彰〉

~「ひんでい」平成22年5月号より~

日日是好日の<好>に込められた意味。それは、私たちが日常的に使っている「好」と同じように捉えることはできません。

私達が普段使っている「好」には、対義語があります。「悪」や「嫌」がそれに当たるでしょう。

もちろん、自分にとって嫌な日や悪い日はあるものです。だから、毎日が「好」い日なんてことはありえないのです。

で……あるならば、自分が過ごしてる日々、その時その時が<好>とは、どういうことなのでしょうか。

まずは、そこに疑問を持つことから、私の日日是好日への関心が始まりました。

「じゃあ、その答えは何なの?」と誰かに問われても、それを私が答えることはできません。

過去に書いた上記の文章では『この言葉には「今この瞬間を生きる」いう禅の生き方が込められています。』みたいなことも書いてありますが、今読むと何だか違和感を感じます。

あの時の私と、今の私と、そしてこれからの私は、それぞれ違う私。その時、その時の「時」は決して同じではありません。

とはいっても、その今は、過去が積み重なっていますし、そしてまた、この今は、未来に繋がっています。

ならば、過去の私の言葉は、確かに今の私に繋がっています。そして今の私は未来に繋がっています。しかしそう考えると、「今この瞬間を生きる」という言葉は、とても言葉足らずな気がしてなりません。

ただし、そんなことを考えていると、こうも思えるのです。

今、この瞬間の時も、過ぎ去った過去という時も、これから来る未来という時も、その時、その時の「時」は、他のどの時とも交換したり、変更したりすることはできません。

文字通り、かけがえのない日々です。無論、今の私が、違和感を感じている過去の私の文章もそうなのでしょう。

私達の過ごしているこの<時>は、そういったかけがえのない日々の、その時、その時の連続です。

日日是好日。

最後までお読み頂きありがとうございました。
伊丹禅教室の茶話会等と同じく、ご意見ご質問等あれば、お気軽にコメントをお寄せ下さい。コメント欄ご使用に際し、使用方法、運用方針を含め、こちらをご確認ください。コメント欄は本記事の最下部にあります。皆様のコメントを是非活用させてください。よろしくお願いします。

更新情報の配信はこちらから

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。