ゲームと見返り

StockSnapによるPixabayからの画像

理由わけあって、最近のゲームには手を出さないようにしているが、アクション、シュミレーション、RPG、ストラテジー、FPS等、様々なジャンルのゲームをする。

あれやこれや考え、プレイして、最終的に攻略するのがとてもおもしろい。

ただ、たくさんゲームをする中で一つ感じたことがある。

ゲームには必ずと言っていいほど、見返りがあることだ。

自分のプレイしたことが、結果的に何らかの形で報われるのようにできている。

例えば、このモンスターを倒すと、自分のほしいアイテムが何%の確率で出現するか。

その結果も攻略サイトを見ると、調べることができる。

既定されてプログラムにしたがって、その見返りが決まっている。

まぁ、それはそれで楽しいのではあるのだが、それが露骨に分かってしまうと、それはもはや作業でしかない。そして、冷めてしまう。いや、覚めるのだろうか……。

そう考えると、現実は、そんな範疇を大きく超えている。見返りなんて、決まっていない。

良い面でも悪い面でも、自分が考えている以上の事が起きることもあるし、何も起こらないこともある。

この現実は、決して、見返りという自分の予想の範疇の中だけで、動いているわけではない。

見返りを求めないとも良く耳にするが、実際は、見返りなんて求めようがないのではないだろうか。

自分の知識や予想の範疇を超えることが、この現実には、無数に転がっている。

これは、私が現実を好きな理由の一つでもあったりする。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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