いい加減

完璧を求めれば求めるほど、細かなことが気になる。

極めようとするならば、気になる所は細かく正さなくてはいけない。

そうして、細かい所だけに気を配っていると、全体のバランスが悪くなっているというのは、よくあることだ。

いい加減を知ることも、また大事な事。

ただし、いい加減でいいやと開き直ってしまうと、またそれはそれでおかしくなってしまう。

いい加減考えすぎて、わけがわからなくなることもある。

いい加減、物事を言うのも難しい……。


追記:言葉と意味

いい加減という言葉。その意味は様々。

ここでは、大きく三つの意味で用いました。

  1. 適度
  2. 投げやり
  3. とても

「いい加減を知ることも、また大事な事」

この時の意味は、適切や適度などポジティブな意味で使っています。

「ただし、いい加減でいいやと開き直ってしまうと、またそれはそれでおかしくなってしまう」

この時の意味は中途半端に考え、投げやりになっているようなネガティブな意味で使っています。

「いい加減考えすぎて、わけがわからなくなることもある」

この時の意味は、とても、すぎるほど、というように、やり過ぎてネガティブな意味で使っています。

同じいい加減という言葉にも、様々な意味があり、しかも、反対の意味がを持つこともあります。

そして、最後の「いい加減、物事の言うのも難しい……」といういい加減には、この三つの意味が全て当てはまるように用いました。

  1. いい加減(に)、物事を言うのも難しい……。→ 適度
  2. いい加減(でいいや)、物事を言うのも難しい(し)……。→投げやり
  3. いい加減(疲れた)、物事を言うのも難しい(なぁ~)……。→とても

「いい加減」という一つの言葉。この意味を分析して、三つの意味に分けました。そしてそれをまた統合して、一つの言葉に込めました。

ここでは単なる言葉遊びとして用いましたが、同じ言葉でも読み手によって、印象が変わることが分かります。

これは私が文章、特に仏教関係の書に向き合う際に、気をつけている事の一つです。

たとえ同じ言葉であったとしても、そこに込められる意味が違う、あるいは、全ての意味が込められている、或いは自分の知らない意味を込めていることがあります。

前後の文章から意味を推察したり、はたまた著者の人物像から推察したり、その他いろんな情報を交えて考えることもありますが、最終的には正解はわかりません。

言葉だけでは伝わらない部分が確かにあって、その時、その時で読む文章の印象が違うことがあります。文字や言葉自体の印象が変わることがあります。

仏教用語には、このような言葉がたくさんあります。また、仏教用語から派生して、まるで違った意味で一般的に使われる言葉もありますから、知れば知る程、その意味の幅が増えていきます。

知らない時に感じた印象と、何かを知った時に感じる印象も違います。

知れば知る程、意味が出る。噛めば噛むほど、味がである。

私が感じるこれも仏教のおもしろさの一つとも言えるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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