お袈裟の成り立ち:糞掃衣

僧侶が身に着けているお袈裟。

時代や場所によって、僧侶の服装も変わり、お袈裟の形も変化してきました

しかし、お袈裟はお釈迦さんの時代から続く仏教僧侶の制服として、現代にこうして伝わっています。

今記事では、どうしてお袈裟が僧侶の制服となったのか、その成り立ちに触れる事にしましょう。

お袈裟の成り立ち

お袈裟の成立なりたちは、今から約2500年前、お釈迦さんによって定められたことから始まっています。

お釈迦さんの教えが広まり、たくさんの弟子達(以下仏弟子)ができました。これらの人の集まり、集団が、仏教教団のはじまりとされています。

最初の頃にはお袈裟はなかった。

しかし、最初の頃は、お袈裟という衣服はありませんでした。

つまり仏教僧侶の専用衣服・制服は定まっていませんでした。

仏弟子は、各自が自分の判断で衣服を決めていたのでしょう。他の人達と同じように、一般的な服装をしていた人も多かったはずです。

ちなみに、古代インドでは、一般的に大きな布を身体に巻き付けていたと考えられています。

ところが、それでは色々な問題が起きました。

お袈裟(制服)がないことで起った問題

問題例①:勘違い

当時、お釈迦さんを慕っていたビンビサーラという王様がいました。
ある日のこと、彼が外出した時のことです。
道中、一人の修行者に出会いました。
「こんな所にもお釈迦さんの弟子がいらっしゃる……」
そう思い、彼は早速、礼を尽くそうと、乗り物から降りました。
しかし、よくよく確認すると、その修行者は仏弟子ではありませんでした。

当時、古代インドでは、身分や財産など捨て、出家するのは、修行者の一般的なスタイルとして確立していました。

お釈迦さんも当時の一般的な考えにのっとり、出家し、さまざまな思想家に付いて勉強し、また苦行を含め、様々な修行も実践しました。

結果的にお釈迦さんはその全てを捨て、菩提樹の下で悟りを開いたと言われています。

つまり、仏教が生まれる以前から、古代インドには、出家や修行をする文化的背景がありました。

仏弟子以外にも、たくさん他の修行者がおり、このビンビサーラ王のように仏弟子と他の修行者を見間違えるということがあったようです。

問題例②:仏弟子としてそぐわない恰好

また、お釈迦さんの下に集まってくる弟子が増えることで起きる問題もありました。

人が増えれば増えるほど、様々な価値観を持った人が集まります。

そしてその中には、明らかに仏弟子としてそぐわない恰好をするものが出てきたのです。

元々お金持ちであるが故に、たくさんの衣類を持つ者。

当然のように、華美な服装をする者。

かと、思えば、布も下着も何もかも、一切の衣服を身に着けない者。

そんなこんなで、仏教専用の制服が必要になってきたのです。

糞掃衣

そこでお釈迦さんは、仏教僧侶の服装・制服を定めました。それがお袈裟というわけです。

お釈迦さん自身が定めたということもあり、お袈裟には、お釈迦さんの教えそのものが込められている衣服であるとも受け取ることができます。

さて、そのお袈裟ですが、糞掃衣とも呼ばれています。

糞を掃くという漢字を使っており、何やら驚くような想像をしてしまいますが、パーリ語では、pamsu-kula(パームスクーラ)といい、糞掃はpamsuに相当します。

意味は、ボロ布という意味です。つまり糞掃衣とは、ぼろきれの衣ということになります。

ゴミ捨て場や路地などに捨てられた布から、まだ丈夫で使えそうな部分だけを切り取って良く洗い、それらを縫い合わせて一枚の四角い衣を作りました。

具体的に例挙げれば、古くなって着なくなった布から丈夫な部分を切り取ったり、中にはお産の時に使った布から汚れていない清潔な部分を切り取ったりしていたようです。

「お袈裟は布の成仏」と、お袈裟を縫う指導して下さっている老師より私も教わりました。

他の人が無価値として捨てた布が、こうしてお袈裟として生まれ変わるわけですから、お袈裟はまさしく布の成仏と言えるでしょう。

お袈裟に関する決まり事

こうして、お釈迦さんによってお袈裟が定められ、仏弟子達はお袈裟を着用することとなりました。

その際、着方や縫い方なども制定されていきました。

着方

例えば、お袈裟の着方は、「偏袒右肩へんだんうけん」がその特徴です。

お袈裟を身体に巻き付ける際、以下のように右肩がでるように着けます。

他にも「通肩」といって、両肩を覆う着け方もあります。

縫い方

今、こうして説明すると、最初からお袈裟に関する決まり事がきっちりと制定されているように思われますが、実際は何かしらの問題が起きるごとに、制定されていったようです。

例えば、お袈裟の縫い方は「返し縫い」でなければならないと定められています。

しかし初めは、縫い方は特に決まっておらず、大抵、普通の縫い方をしていました。なみ縫いと呼ばれる縫い方です。

ある時、仏弟子の一人が大衆の目の前で大恥をかきました。

どのような事があったかというと、お袈裟の糸が切れたのです。

丈夫で使えそうな部分だけを切り取って良く洗い、それらを縫い合わせて作った、一枚の四角い衣。お袈裟は、言ってみれば、小さな布を合わせたツギハギしたものと言えます。

ですので、なみ縫いの場合、どこかの糸が一つでも切れれば、そのまま、バラバラっ~と解けてしまいます。

説法でもした後に、立ち上がって際、バラバラ~っとなってしまっては、恥以外の何物でもありません。

それ以後、より丈夫に縫えるようにと、お袈裟は「返し縫い」で縫うことが定められたというわけです。

布の種類

布の種類関しては、当時一般的に使われてた布であれば、別段これといった決まりはなかったようです。

ただし、糞掃衣ですので、布の種類ではなく、どのようにその布を入手したかということが大事だったようです。

また、その布の色は、あまり人が好まない色に染めることもしていました。

壊色えじき濁色じょくじきといわれ、色を壊す、濁った色という言葉からもその意図は図ることができます。

色でいえば、青色、黒色(泥)、渋柿色、木蘭色で、木や樹皮・果汁などを用いて染められたようです。

こうしてみると、左は渋柿色、右は木蘭色です。

約2500年前からこうして現代にも伝わっているお袈裟。

糞掃衣であり、また福田衣であるお袈裟。

お袈裟という一枚の衣にも、様々な教え、想いが込められているのですね。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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