坐禅会取材(ベイ・コミュニケーションズ)が放送されました。(坐禅と座禅の違いについて)

坐禅会の取材とその放送について

昨年の12月19日にベイ・コミュニケーションズから坐禅会の取材を受けました。

1週間ほどしか告知する期間がありませでしたが、取材を受ける臨時坐禅会には、来て下さった方々もいらっしゃって、本当にありがたく思います。

元日にベイコム11チャンネル、ほっとネットベイコムという番組の中で放送されました。

一体どのような形で放送されるか、正直心配もしておりましたが、簡潔に坐禅会の様子をまとめてくださっていました。ありがとうございます。

再放送もされるようですので、気になる方は観てください。

あ、そういえば、放送時間。頂いた書類の時間とは異なった時間枠で放送されていました……。

平成31年1月1日(火)16:45~とお聞きしていたのですが、実際は12時からの放送でした。

再放送も若干の変更があるかもしれませんが、一応お知らせ頂いた放送日時は以下の通りです。

放送日時

  1. 1月4日16:45~
  2. 1月5日11:45~
  3. 1月6日11:45~
  4. 1月7日19:45~
  5. 1月8日12:00~

チャンネルはベイコム11チャンネル。ほっとネットベイコムという番組です。

正確な日時は番組表でご確認ください。

放送を観て(コメント)

放送を見てまず一番に注目したのは、自分の顔です。

顔といっても、別に顔の映りを気にしていたわけではありませんよw

表情ですね。

私は結構考え事する時は、眉間にしわが寄ったり、腕を組んだり、また真剣になればなるほど、怖いと言われることがあります。

でもテレビで話をしている私は楽しそうでした。自分てこんな顔するんだなぁ~と自分の事なのに、えらく他人事のように見てました。

現に仏教の話をするのは楽しいです。だからすごく安心しました。

私自身今まで、どんな風に坐禅会で話しているのか、あまり客観的に観る機会がありませんでしたので、ありがとうございました。

以下は、観ていて気になった点がありましたので、挙げておきます。

坐禅と座禅について

放送内でテロップ等に「坐禅」と「座禅」の字が混在していました。

坐禅は「座」ではなく、「坐」が正解です。

実は頂いた企画書には、当初「座禅」と書かれていたのですが、「坐禅」に訂正してくださいとお願いしていたので、その前後の素材が混在していたのかもしれませんね……w

その理由は漢字の意味が違うからです。

「坐」という字は、すわる動作そのものを指します。

「座」という字は、坐る場所を指します。

常用漢字が「座」なので、よく「座禅」書かれることが多く、またパソコンの漢字変換も基本的には「座」の方が優先度が高いのでよく間違われます。

ただ、私も学生時代など、レポートなどの提出時に、意識していないと座禅に変換されていることが多いので、よく指摘され訂正させられていました。

実際、ネット上の検索ワードでは「座禅」で検索されることが多いので、荒村寺のホームページタイトルも、「伊丹で坐禅(座禅) 曹洞宗荒村寺」と仕方なく座禅の文字を入れていますが……、相当悩んだのを覚えていますw

このようなお話をしていると細かいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまで文字を細かく扱うのにも、それなりの理由があります。

それは仏教エピソードなどにも書いているので参考にして頂ければ幸いです。

(例えば、第17話「筏の如く」)

禅の言葉の中に「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉があります。これは「言葉や文字に捕らわれてはいけない」という教えです。
だからといって禅では、言葉や文字を使わないかというと、そうではありません。
むしろ、禅の書物を見ると、言葉や文字を巧みに使い、より慎重に、より大切に扱っていることがわかります。
言葉は、決して自分の考えを100%表したものではありません。自分の内側で起こった考えを表現しようとする時、言葉にできないことや、言葉にすると何か違う気がすることがあるはずです。
また受け手の解釈で、大きくその意図が変わってしまうことがあります。
そして、うまく伝わらないことや誤解を生むことがあります。だからこそ、言葉や文字を使う側も受け取る側も注意が必要です。
語り手は言葉に、たくさんの意味が込めることができます。それこそ辞書に載っていない意味すら、その場の状況に応じて、込めることができます。
受け手はそれを踏まえ、一つ一つその言葉を吟味しなければ、実際にその人が何を伝えたいのか、その真意を汲み取ることができません。
だからこそ禅仏教では、言葉はとても重要で、それ故に特定の言葉に重視しないのです。

木版と鐘の合図

放送中の紹介で、木版をたたく様子も紹介されていました。

そして、そこには坐禅開始の合図というテロップがありました。

またその後、鐘を鳴らすシーンにて同じく、坐禅開始の合図というテロップがありました。

観ていて「なるほどなぁ~(そういう風に受け取られるのかぁ~)」と興味深く観ていました。

「両方坐禅の合図っておかしくない?」と茶話会などで、質問が出てきてもおもしろいと思うのですが、そういえば今までそのような質問は出てきませんでしたね。

また今度ブログにて、その木版と鐘の意味の違いを載せておきたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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