知ること、見えること

知れば知るほど見えなくなる。

年齢を重ねていけば行くほど、私達はたくさんの事を知っていく。

ただ、知れば知る程「もうそれは知っている」と結論付けてしまい、見えなくなってくる。

「わかってる?」

「知ってる!」「分かってる!」

それはわかっているようでわかっていない。見えていない。

そういう意味では、子供の方が知らないけれど、いろんなことが見えているのではなかろうか?

知らないということは、知識という先入観もない。だから、それを素直に、そのまま見える。

ただし、見えているのだけど知らない。

知らないままでは、やはりそれはそれで困るのだ。そしてまた、どうしても知らないままではいられない。

知ること、そして見えること。この両方が大事なのだと気づく事。

それが本当に智るということのはじまりなのかもしれない。


I see.(わかりました)

I know.(知っている)

英語を習う時にもよく間違えやすいものとしてこの違い教えられます。

「know」が「知っている」という意味なので、どうしても直訳で「分かりました」を「I know」と書いてしまいがち。ところが、こういう時は「I see」と使います。

私はどうして「see(見える)」なのだろうと、当時は疑問に思っていました。というか納得がいきませんでした。

しかし、今では「なるほど!」と思います。

知っている、分かっている(I know)は、見えなくなる。自分の知識でしか考えてない無い。自分の知っている範疇しか見えない。そういうことなのではないかと思います。

見えて(I see)こそ、他の意見(知識)をちゃんと見えてくるからこそ、本当の意味で「わかった」ということになるんでしょうね。

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