本日は写経会でした|施食ってなんですかの質問の補足

本日は写経会でした。

18名の方々がお越しくださいました。

「今日は少ないね~」っとおっしゃっている方もいらっしゃいましたが、いつも15~25人くらいなので、極端に少ないというわけでもなかったのですが……。

きっと席の配置を替え、若干席数を増やしたので、そのように見えたのかもしれませんね。

さて、本日茶話会にて、「施餓鬼」についてのご質問を頂きました。

施餓鬼、施食とも言われますが、どんなものかという説明は、本日の茶話会で言った通りです。私が大事に思っている所は、実際にお話して伝えたい事なので、ここでは触れませんが、一つ「六道」にふれた時に、思い出せないことがあったので、補足しておきます。

六道は、天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄のことです。

茶話会の時、私はこの地獄が思い出せませんでした。

というのも、この六道は、一般的に仏教の世界観として理解されがちですが、私はあまりそうのように考えていません。

その理由は仏教には「無記」と言われる教えがあるからです。

無記については、こちらでも触れております。

仏教エピソード7話「答えない」

仏教エピソード8話「答えない答え」

なので、六道のような世界が本当にあるかどうかは「わからない」というのが、私の現時点での考えです。

ともかく、私は六道に対する受け取り方は、世界観というよりは、人間の内面を表す一つの表現だと考えています。

人にはいい所もあれば、悪い所もある。それが人間。

人には、天界の神様に通ずるような良い所もあれば、地獄を想起させるような悪い所もある。

それに、阿修羅のような争い、怒りに身を任せてしまうような所もあれば、餓鬼(餓えた鬼)のように欲望に溺れてしまう所もある。

また畜生(これは動物を意味しています)を思わせる所もある。おそらくは、愚かさというか、理解ができない様を表しているのだと思います。

私自身は動物をそのように見ていませんが……。

人が忘れていることを全うしているようにおもえることもありますし、また人に教えてくれることがたくさんあります。ペコもものように……。

話は少しそれましたが、要するに、昔の人が表現の一つとして、きっと愚かさを表す意味で使ったと考えると、それで、三大煩悩の怒り、欲望、愚かさと重なります。

こういう煩悩やその煩悩のままに動いてしまう地獄、反対に、それらを善き方向へもっていく天。

よく、内面の葛藤を表す描写として天使と悪魔の描写などがありますが、私はそれに近いものがあるのではないかと思っています。

以上、六道の補足でした。

重要なのは、本日の茶話会でも触れましたが、六道の話だけではなく、どうしてこういう表現がでてきたかを知って、深める。そしてそこから受け止め方の幅を広げていくことだと私は考えています。

人がどうしてこういう考えを生み出したのか、そこにはどういう想いがあったのか、そしてそこから私達はどのように受け止め、どう活かすか。

最後に、本日写経会にご参加いただき、ありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。

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