言葉は言の葉。

言葉。読んで字のごとく、言の葉。

口に出した時、芽吹く葉。文字にして残る葉。

口に出す前、葉になる前は一体どんな感じだったのか……。

葉に囚われてしまえば、枝は見えない。枝は囚われてしまえば、幹は見えない。幹に囚われれば根っこは見えない。

葉っぱに囚われれば木の全体は見えない。

その根っこの部分はなんだったのか……。そして芯(幹)の部分はなんだったのか……。

表面的な葉っぱだけじゃなく、その葉っぱに裏に隠された、言葉の裏に隠された真意とは何だったんだろうか。

また、その木の全体を、真意を表現しようとして、一体どれほどの人がまた言の葉を用いて表現しようとしたのだろうか。

時を超えて場所を超えて、言葉を用いて伝えようとしてくれた。

私は仏教もその一つだと思っている。

それこそ、2500年の年月の間に、もはや森のようになっている。

表面的な葉っぱだけじゃなく、その葉っぱに裏に隠された、言葉の裏に隠された、木々を私は見たい。

最後までお読み頂きありがとうございました。
伊丹禅教室の茶話会等と同じく、ご意見ご質問等あれば、お気軽にコメントをお寄せ下さい。コメント欄ご使用に際し、使用方法、運用方針を含め、こちらをご確認ください。コメント欄は本記事の最下部にあります。皆様のコメントを是非活用させてください。よろしくお願いします。

更新情報の配信はこちらから

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。