第二編

第二編第二編
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仏教エピソード㊺「煩悩は悟りの道」

煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)は禅宗においてはよく見かける言葉です。禅語として挙げられる言葉を紐解けば、このエピソードのように、お釈迦さんの時代へと繋がっています。
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仏教エピソード㊹「キンスカの木と悟りと城と」

「如何に悟るのか」は「キンスカの木とはどんな木なのか」と尋ねるようなものである。
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仏教エピソード㊸「叱る事と怒る事」

叱る事と怒る事、その違いは何なのでしょうか? お釈迦さんも叱る時は叱ります。時には少し言い過ぎてしまうこともありました。今回は、お釈迦さんの「叱る」が見えるエピソードです。
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仏教エピソード㊷「勝友」

モッガラーナさん、神通力について親友に語るエピソード。モッガラーナさんの神通力は、人々をどこか安心させる、巧みな表現力。親友のサーリプッタさんには「神通力でお釈迦さんと会っているわけではない」と語っています。
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仏教エピソード㊶「悟りはあるの? 悟りはないの?」

「悟りはあるといえばあるのですよ。そして、ないと言えばないんだよ」この話を読んだとき、そんな老師の言葉を思い出しました。
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仏教エピソード㊵「滅について」

「滅」という言葉は、語源を調べると、実に様々な意味が込められています。今回のエピソードでは、「滅」について、お釈迦さんの弟子であるサーリプッタさんとアナンダさんが語り合っています。
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仏教エピソード㊴「壊れるという法は壊れない」

もし、矛盾しないのなら、それは真実ではない
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仏教エピソード㊳「自己を見つめる」

非我や無我は、仏教でよく出てくる言葉の一つ、そして誤解されやすい言葉です。そもそも、我という言葉自体も、日本語と仏教の間に齟齬があります。
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仏教エピソード㊲「観察」

見ようとすれば見えなくなることもあります。見ていると思うからこそ、見えなくなることもあります。見えることに限界だってあります。「見」にも実はたくさんあって、それを知るにも、じっくり観察しなければなりません。
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仏教エピソード㊱「やってみえる」

南獄磨甎×坐禅×旅。今回のエピソードは有名な禅問答です。師である南獄懐譲(なんがくえじょう)さんと弟子の馬祖道一(ばそどういつ)さんの師弟間の問答となります。この話は『景徳伝灯録』にあるのですが、今回は道元禅師さんの書物を基に訳しました。
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