展鉢の偈から読み解くお釈迦さんの生涯その1:仏生迦毘羅

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文げもん(詩)があります。

仏生迦毘羅ぶっしょうかびら
成道摩掲陀じょうどうまかだ
説法波羅奈せっぽうはらな
入滅拘稀羅にゅうめつくちら

これは展鉢てんぱつの偈と呼ばれる四句で、修行道場では、食事の際に唱えました。

展鉢とは、こちらの応量器と呼ばれる器を展開すること、つまり、食事のために応量器を広げることを意味します。

さて、この偈文ですが、それぞれ仏教の四つの聖地、四大聖地に対応しています。

この偈文を元に、お釈迦さんの生涯についてまとめてみました。一記事にするには、少し長くなりそうな為、今回は全4回の投稿に分けさせていただきます。

今回は、一番最初の句、「仏生迦毘羅」編です。

以下、当時インドの地名など多くでてきますので、こちらの地図も合わせてご覧ください(お釈迦さんゆかりの地)。

仏生ぶっしょう迦毘羅かびら(仏は迦毘羅で生まれた)

仏という言葉には、厳密にいうと様々な意味がありますが、ここでいう仏とは、お釈迦さんのことです。

そして、迦毘羅とは、地名です。お釈迦さんが生まれてから出家するまでの間、過ごしていたカピラヴァスツ(地図⑤)、いわばお釈迦さんの故郷の名です。

つまり「お釈迦さん(本名、ゴータマシッダールタ)は、カピラヴァッツで生まれた」という意味になります。正確には、お釈迦さんはカピラヴァスツ近くのルンビニー(地図①)という場所で生まれたと言われています。

お釈迦さんの生まれについて「仏伝と歴史学との違い」

また、お釈迦さんの生まれについては、数々の伝説があります。たとえば、脇から生まれた、生まれてすぐ七歩歩いた、天上天下唯我独尊と言ったなどが有名でしょうか。

ひょっとしたら、皆さんもどれかのお話を聞いたことがあるかもしれません。

日本には、お釈迦さんの誕生を祝う「はなまつり」という行事があります。

はなまつりでは、右手を上に左手を下にして天地を指さしている仏像に甘茶をかけますが、皆さんはそのような光景を目にしたことがありますでしょうか。

例えば、このような行事も、この仏伝として伝えられる「誕生偈」が元になっています。

しかし、この誕生偈は、お釈迦さんの誕生から約1000年以上経った後に書かれた「大唐西域記(646年)」の中にあります。

ですから、実際のお釈迦さんの出生がどうだったか、それを示す根拠とはなり得ないというのが、おおよその見方です。

現在では、お釈迦さんは歴史上、実在した人物ということが、仏教学や考古学の観点から証明され、学問的にも、お釈迦さんの実像にせまる研究が進んでいます。

では、実際のお釈迦さんの誕生について、どうだったのかと問われると、実際の所、古い経典内に、お釈迦さんの生まれに関して、記述されていることは、多くありません。

以下、簡単にまとめました。

お釈迦さんは、サキャ(釈迦)族の王であるスッドーダナ(浄飯じょうばん)とマーヤー(摩耶まや)夫人の間に生まれましたが、生まれてすぐ母親を亡くしました。

ルンビニーという場所で生まれ、釈迦族による部族国家の中心の町、カピラヴァッツで過ごしたそうです。

釈迦族の国は非常に小さな部族国家でした。カピラヴァッツのヴァッツというのは、地区という意味であることからも、国としての規模を推察できます。

確かに、身分としては、王族であり、王子さまではありますが、私たちが考える王子のイメージとは違うのかもしれません。

ただ、経典の中に、青年時代のお釈迦さんの様子が語られている(仏教エピソード③)部分もあり、恵まれた生活をしていたことも窺えます。

経典の成立過程、そもそもお経がお釈迦さんの教えを残したいという弟子達の意図から作られたことを考えると、生まれについての記載が少ないのは、当然の事なのかもしれませんね。


次回、二句目、「成道摩掲陀」編です。

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文(詩)。 仏生迦毘羅ぶっしょうかびら 成道摩掲陀じょうどうまかだ 説法波羅奈せっぽうはらな...

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