展鉢の偈から読み解くお釈迦さんの生涯その2:成道摩掲陀

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文(詩)。

仏生迦毘羅ぶっしょうかびら
成道摩掲陀じょうどうまかだ
説法波羅奈せっぽうはらな
入滅拘稀羅にゅうめつくちら

四大聖地に対応しているこの偈文を基に、前回に引き続き、お釈迦さんの生涯についてまとめました。

今回は、二句目の「成道摩掲陀」編です。

以下、当時インドの地名などでてきますので、こちらの地図も合わせてご覧ください(お釈迦さんゆかりの地)。

成道じょうどう摩掲陀まかだ(摩掲陀で成道した)

成道というのは、仏道が成ったという意味。サンスクリット語などを踏まえると、悟りを完成することを意味します。

摩掲陀というのは、お釈迦さんの時代にあった国、マガダ国の事(地図右下)で、現インドのビハール州、ガンジス河南部の古称です。

当時、マガダ国は、お釈迦さんの故郷である釈迦国とは比較にならはいほどの大国の一つでした。後に、ガンジス河流域の支配権を握り、王朝発展の基礎を確立したほどの大国です。

このマガダ国には、ネーランジャラー河(尼連禅河にれんぜんが)と呼ばれる河があります。(地図最右下の河。川上に赤い線を引いているのはガンジス川。ネーランジャラー河はガンジス川に合流する。現在はパルク河と称される)

お釈迦さんは、この河のほとりにある菩提樹の下(現在はブッダガヤーと称される、地図②)で坐り、悟りを開いたと言われています。

出家後のお釈迦さんについて「苦行を捨てたお釈迦さん」

ブッダガヤー(地図②)の南方には、ウルヴェーラ(地図⑦)と呼ばれる場所があります。漢名では、苦行林と称されています。

その名からわかるように、お釈迦さんは、ウルヴェーラで長い間、苦行を続けていました。

しかし、苦行からは一切得る所が無く、ついにはその苦行を捨てました。

これは私の主観ですが、法話など、皆さんの前で話す際に感じることがあります。それは、お釈迦さんが苦行を捨てたことを知らない、あるいは、苦行をして悟った誤解されている方が、意外に多いのです。

後に、お釈迦さんは「様々な苦行を実践したが、どれも意味が無かった」と言っているほどなので、あえて強調しておきますが、お釈迦さんは、苦行を捨てました。(仏教エピソード④)

苦行によって、ボロボロだったお釈迦さんに、村娘であるスジャータさんが、乳粥(牛乳で調理された食べ物)を与えてくれました。

これは私の想像にすぎないのですが、この時のお釈迦さんは、身なりはボロボロ、心はもぬけの殻状態だったと思うのです。

なぜなら、苦行は、飲まず食わず、自らの肉体を追い込む行です。餓死寸前の痩せこけた状態だったかもしれません。

また、お釈迦さんが出家した目的(仏教エピソード③)を果たせず、これまでの全てが徒労に終わってしまいました。出家してからの約6年間、なにも得るものがなかったのです。

精神的に堪えないはずもなく、意気消沈していたでしょう。

道端で、何をする気力もなく、うずくまっている。仮にお釈迦さんがそんな姿だったのであれば、それ見た他の人達の反応は、どんなものだったでしょうか。

普通なら、眉を寄せて、あるいは見て見ぬふりをして、誰も近づこうとはしなかったはずです。

そんなお釈迦さんに対して、スジャータさんは、何かを感じる所があり、乳粥を供養(施)しました。

その時のお釈迦さんは、一体どのような気持ちになったのでしょうか。

そう想像すると、お釈迦さんにとって、スジャータさんからの供養は、ただ単に「乳粥を供養(施)してもらった」と一言でいえるような出来事では、決してなかったと思うのです。

結果、その食事を機に、お釈迦さんの身体は快方に向かい、その後、ネーランジャラー河で沐浴(お風呂)し、河のほとりにある菩提樹の下で坐り、悟りを開いたとされています。

仏教エピソードのバナーは、お釈迦さんが菩提樹の下で坐っている話を基にイメージしました。

法話「基本編中道」では、お釈迦さんの生まれ~成道に至るまでの経緯をお話していますので、詳しくはそちらで。


次回、三句目、「説法波羅奈」編です。

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文(詩)。 仏生迦毘羅ぶっしょうかびら 成道摩掲陀じょうどうまかだ 説法波羅奈せっぽうはらな...

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