展鉢の偈から読み解くお釈迦さんの生涯その3:説法波羅奈

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文(詩)。

仏生迦毘羅ぶっしょうかびら
成道摩掲陀じょうどうまかだ
説法波羅奈せっぽうはらな
入滅拘稀羅にゅうめつくちら

四大聖地に対応しているこの偈文を基に、前回に引き続き、お釈迦さんの生涯についてまとめました。

今回は、三句目、「説法波羅奈」編です。

以下、当時インドの地名などでてきますので、こちらの地図も合わせてご覧ください(お釈迦さんゆかりの地)。

説法せっぽう波羅奈はらな(波羅奈で説法した)

説法とは、法を説くことです。お釈迦さんは、葛藤の末、自らの経験や考えを、誰かに伝える決意をしました。

そして、その相手として選んだのが、かつて共に苦行をしていた五人の仲間でした。

ただ、当時の彼らがいる場所は、お釈迦さんがいるマガダ国の隣国であるカーシー国の首都ヴァーラーナシー(波羅奈・・・)でした。

正確にいうと、お釈迦さんがいたのは、マガダ国のネーランジャラー河のほとりブッダガヤー(地図上②)。そして向かった先は、カーシー国の首都ヴェーラーナシーの近くにあるサールナート(地図③)、漢名で鹿野苑ろくやおんと称される場所です。

お釈迦さんは彼らのいるサールナートへと向かい、後に、この地は、初転法輪しょてんぼうりんの(初めて法が伝わった)地と呼ばれるようになりました。

お釈迦さんの説法について「初転法輪に至るまでの過程」

お釈迦さんは、サールナートにおいて説法をなし、ここで初めてお釈迦さんの伝えたかったことが、他の人へと伝わりました。

そのことから、結果的に、初めて法の輪が転じた、初転法輪の地として、サールナートは有名になりました。この初転法輪の話は、数ある仏教の話の中でも、有名な話です。

しかし、そこに至るまでの過程にもまた、様々な話があります。

例えば……、地図を見ると、お釈迦さんが悟りを開いたとされるブッダガヤー(地図上②)から初転法輪の地、サールナート(地図上③)まで、その距離約300kmあります。

どうしてそんな遠くまで行く必要があったのでしょうか。

そもそも、お釈迦さんは菩提樹の下で悟りを開いたとされていますが、だからといって、すぐにそれを、何の疑いも無しに、自信満々に、誰かに伝えようとしたわけではありません。

そこには、様々な葛藤がありました。そして最終的に法を伝える決意をしました。(仏教エピソード㉚)

「はっきりとせず難しい」「誰も信じてくれないのではないだろうか」「ただの徒労に終わるかもしれない」

そんな不安もあった為か、お釈迦さんはしばらく考え込みました。

「一体誰に伝えたら良いだろうか」と。

最初に思いついたのが、かつて自分が弟子入りしていた思想家の先生達でした。

お釈迦さんは、王族の暮らしを捨て、出家の身となった後、アーラーラ・カーラーマ、そしてウッダガ・ラーマプッタという二人の思想家の下で学んでいたことがありました。

しかし、残念なことに彼らはすでに亡くなっていることを知りました。

そして次に思いついたのが、かつて苦行生活を共にしていた五人の仲間達だったのです。

ただ、すでに苦行を捨てたお釈迦さんは、苦行を続けている彼らから見れば、いわば脱落者でした。とはいえ、他に話を聞いてくれそうな人に心当たりもありませんでした。

約300kmの距離は、このような背景があったことを踏まえると、よりリアリティを感じます。

また、そういう背景を知ると、お釈迦さんが、初転法輪に至るまで、どんな不安な気持ちだったのか、想像に難くありません。

それでもお釈迦さんは決意を固め、ブッダガヤよりはるか遠くのサールナートへ向かいました。

そして、その道中で、ウパカという修行者と出会いました。この人との会話が、お釈迦さんにとって、実質、初めての説法となりました。

しかし、その説法は、結果として、失敗に終わりました。(仏教エピソード㉜)

これから、自分を脱落者と思っているかもしれない、かつての苦行仲間五人に対して話をしにいこうとしている最中に、あちらから話しかけてくれたウパカさんとの対話では、全く伝わらなかったのです。

話を聞いてくれそうな人にすら伝わらないのに、この先、聞く耳を持たないかも知れない人に同じように話したところで、伝わるわけありません。

それを踏まえて、サールナートへと向かう道中のお釈迦さんの想いを想像すると、なんだかいたたまれない気持ちになってしまいます。

また案の定、かつて苦行を共にしていた五人の仲間達は、お釈迦さんがやってくる姿を見た当初、お釈迦さんを快く迎え入れようとはしませんでした。

それでも結果的に、お釈迦さんの説く法は、サールナートの地において初めて伝わりました。

しかしそこに至るまでには、失敗があり、またそれを機に、法について、どのように伝えるか、必死に考えるお釈迦さんの姿が想像できます。

そんな失敗や過程があったからこその初転法輪だったはずです。

ちなみに、初転法輪の説法の内容は、四諦したいという教えとして、今でも仏教学において、基本の教えの一つとして学びます。(四諦についても、詳しくは法話にてお話しています)

こうして、後世にも基本として説かれる教えですから、よっぽど考えに考え抜いたのでしょうね。

また説法の仕方(対機説法)など、お釈迦さんの伝道(仏道を伝える)スタイルにも、このような経験は、深く影響していたのかもしれません。


次回、最後の句、「入滅拘稀羅」編です。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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