展鉢の偈から読み解くお釈迦さんの生涯その4:入滅拘稀羅

お釈迦さんの生涯について端的に表した偈文(詩)。

仏生迦毘羅ぶっしょうかびら
成道摩掲陀じょうどうまかだ
説法波羅奈せっぽうはらな
入滅拘稀羅にゅうめつくちら

四大聖地に対応しているこの偈文を基に、前回に引き続き、お釈迦さんの生涯についてまとめました。

今回は、最後の句、「成道摩掲陀」編です。

以下、当時インドの地名などでてきますので、こちらの地図も合わせてご覧ください(お釈迦さんゆかりの地)。

入滅にゅうめつ拘稀羅くちら(拘稀羅で入滅した)

ここでいう入滅とは、簡単に言えば、亡くなったことを意味します。

また、入滅と同じく、般涅槃はつねはんやあるいは涅槃と言う言葉も用いられます。涅槃や入滅という言葉には、いろんな意味合い込められるのですが、ここでは、深く言及しません。

にもかくにも、お釈迦さんが拘稀羅(クシナガラ(地図上④))で亡くなったというのが、この偈文の意味となります。

お釈迦さんの晩年について「最後の食事のキノコ料理」

早くに母を亡くし、叔母であるマハー・プラジャーパティーさんに育てられたお釈迦さん。16歳の時には、ヤショーダラさんを妃に迎え、息子のラーフラさんが生まれました。

しかし、苦しみに迷い、29歳(一説では19歳)で出家。成道までの間が約6年ですから、35歳の時に成道。そこから先、80歳で亡くなるその日まで、仏道を伝える、伝道の日々でした。

その伝道の日々の中で、故郷にも戻り、自分の家族にもまた、仏法を伝えました。マハー・プラジャーパティーさんは、女性初の比丘尼(僧侶)となった人であり、またラーフラさんは、十大弟子の一人にも数えられています。

経典の成立過程からして、初期の経典には、その伝道の日々のエピソードが多く書かれています。

伝道の最後も含め、晩年の頃について書かれたお経もあります。それらが現代語訳された書籍もあるので、お釈迦さんの晩年については是非そちらをお読みください。(リンク先記事最下段)

晩年の話の中には、自灯明法灯明の話(仏教エピソード⑨)、あるいは、最期の言葉(仏教エピソード㉛)など、私自身、印象深く感じた話があります。

せっかくなので今回は、今まで記事にしていない話、お釈迦さんに最後に食事を施した鍛冶師のチュンダさんとの話について、ご紹介したいと思います。

お釈迦さんは、その晩年も、伝道の旅をしていました。

食事に関しては、托鉢(簡単に言えば、僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食などを乞うこと)でしたから、この鍛冶師のチュンダさんも、お釈迦さんに食事を供養(施)した人物です。

チュンダさんは鍛冶師の子で、まだ若くありましたが、お釈迦さんの話を聞き、感銘を受けました。

「是非、我が家で食事をしてほしい」と申し出たチュンダさん。承諾したお釈迦さんは、チュンダさんの家で他の弟子達と共に食事を頂きました。

その際、用意された食事は「美味なる噛む料理・柔らかい食物・多くのキノコ料理」と経典にはあります。

お釈迦さんは「キノコ料理はわたしにください」といい、弟子達は、キノコ料理以外のものを食べました。

そしてその後、キノコ料理を食べたお釈迦さんは、激しい腹痛と下痢に見舞われました。

経典には、以前から体調がすぐれない様子も書かれていますが、この腹痛と下痢が「死に至る激しい病」とも記されていることから、お釈迦さんが本格的に体調を崩す決定打になったと考えられます。

言い換えれば、このキノコ料理のせいで、お釈迦さんは死に追いやられたとも言えるわけです。

さて、皆さんは、このキノコ料理を与えたチュンダさんに、どのような印象を抱くでしょうか。きっと非難したくなる気持ちが湧いてくる人もいるでしょう。

きっと、当時、お釈迦さんを慕う人の中には、そのような感情をチュンダさんに抱いた人もいたのではないかと思います。

しかし、仏教において、このチュンダさんは、決して非難される対象ではなく、むしろ、お釈迦さんに最期の供養を行った功徳ある者、果報のある功徳主くどくしゅ施主せしゅ)とされています。

この理由は、同じく、経典に載っているのですが、お釈迦さんは弟子に対して、チュンダさんのことについて、このような言葉を残していました。

「誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない、―――〈友、チュンダよ。修行完成者はお前が差し上げた最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益がなく、お前には功徳がない〉と言って。

アーナンダよ。鍛冶工の子、チュンダの後悔の念は、このように言って取り除かれねばならぬ。

〈友よ、修行完成者は、最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益があり、大いなる功徳がある。

~中村元訳「ブッダ最後の旅より」~

お釈迦さんは、自分が死の間際にいたとしても、こうしてチュンダさんに自責の念を与えないため、また他の人から責められないように配慮をしてくれる、そんな人柄が見えてきます。

確かに、チュンダさんの食事は、結果だけ考えれば、お釈迦さんを死に追いやった要因です。

しかし、その食事は、ただただ純粋に「お釈迦さんや弟子達に供養したい」という気持ちから行われたものでした。

だからこそ、お釈迦さんはその供養を受けとりました。むしろ、そういった過程がなければ、お釈迦さんは供養を受け取らない人だったと私は思います。(仏教エピソード⑪)

お釈迦さんは決して結果だけで人を判断しなかったのでしょうね。

自分が死の間際にいたとしても、こうして他の人を思いやれるのは、こんなふうに過程を含めて、その人のまるごとに向き合ってくれる人だったからこそだと私は思うのです。


以上、全4回の投稿となった「展鉢の偈から読み解くお釈迦さんの生涯」でした。

お釈迦さんの人柄が感じられるエピソードは、他にも、経典のお話の中に見られます。仏教エピソードも含め、他のお話も、ご覧いただければ幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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