非思量

法話の種

【身心一如】エジプト一人旅での出来事

禅の言葉に「身心一如」という言葉があります。 禅学大辞典では、以下の様に説明されています。 身心一如 身心不二・身心如一ともいう。 肉体と精神と一体不二でなること。 身と心とは同一...
法話の種

完璧主義(?)、頑張りすぎちゃうあなたを観ていると……

その日は習い事があった。 出かける前に、カバンの中を確認した。準備物はバッチリ。 時間も5分ほど余裕がある。うん、大丈夫だ。 さぁ、出発! でも、道中、ふと気づく。 ...
法話の種

修行の真偽

しめしていはく、しるべし、仏家には教の殊列を対論することなく、法の浅深をえらばず、ただし、修行の真偽をしるべし。 道元禅師著「辨道話」 教の優劣はなく、法の浅い、深いもない。ただし、修行の真偽...
質疑応答・調べ物

坐禅中の呼吸はどうすればいいのですか? 思量箇不思量底ってどういうこと?

質問については、お応えしたすべてを文章にできませんが、質問のいくつかを、このブログで文字にできる限り、整理しておきたいと思います。
法話の種

坐禅中に頭の中で妙に納得がいったことが、話す時にはもう忘れている。

「知ることは、ただ知ることではなく、行ずること、証すること、説くこと、忘れることともいう」お経の中の言葉です。もちろん、私の受け取り方ですが。
法話の種

頭で考える事と身体で感じる事と

言葉とイメージ、そして身体。考えると言ってもいろんな考え方がある。
法話の種

一歩踏み出す:歩くことから感じたこと

これはなかなか勇気のいること。
記録

お預かりすることになったカワラナデシコ

縁あって荒村寺でお預かりしているカワラナデシコ。 冬には枯れて土だけになる植木鉢が、こうして時期がくると、芽吹いて花開く。 ちからをもいれず、こころをもついやさずして……
法話の種

意識の外側

私達は普段は意識の外側にある、そういう力に支えられて生きている。気づいていようが、気づいていまいが、それは紛れもない事実。
法話の種

0:足し算しても、引き算しても0になる。

0から考えるってことは必ずしも無くすってこととイコールではないのだと。
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