【微妙】仏教では「びみょう」ではなく<みみょう>と読みます。

皆さんは、微妙びみょう(以下、「微妙(びみょう)」)という言葉を聞いて、どのような印象を受けるでしょうか。私は、どちらかといえば、否定的な印象、マイナスの印象を受けます。

しかし、仏教では、微妙みみょう(以下、<微妙(みみょう)>)と言います。しかも、こちらの方は、肯定的な印象、プラスの印象を受ける言葉として用いられています。

ということで、今回は、仏教でいう<微妙(みみょう)>の意味について、ご紹介したいと思います。

<微妙(みみょう)>とは?

仏教辞典によれば、<微妙(みみょう)>は、このように説明されています。

仏教の真理・教えや、それを悟る智慧の深遠ですぐれたさまを形容する語。

法華経方便品「甚だ深く微妙にして、解し難き法なり」、「智慧甚だ微妙にして、諸仏の得る所なり」をはじめ、初期漢訳仏典から頻出する。

岩波 仏教辞典

上記からも読み取れるように、否定的な意味はありません。

もし、「ビミョー」というように、現代使われるような否定的な意味合いで微妙を理解してしまうと、法華経の文章の意味が全く通じません。

では、私達が普段使う「微妙(びみょう」と仏教の<微妙(みみょう)>はまったく違う言葉なのでしょうか。答えはそうではありません。

実は、「微妙(びみょう)」という言葉も様々な意味があり、その語源を調べると、仏教の意味合いにも近いものがあることが窺えます。

「微妙(びみょう)」の意味

ネット上の辞書にて、「微妙(びみょう)」について調べてみました。

 趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあること。また、そのさま。みみょう。「此―な叙景の筆の力が」〈独歩・武蔵野〉

 一言では言い表せないほど細かく、複雑なさま。また、きわどくてどちらとも言い切れないさま。「気持ちが微妙に変化する」「セーフかアウトか微妙な判定」「愛国主義と国粋主義の微妙な関係」

 (「微妙に」の形で)少々。やや。「微妙に歪んで見える線」「彼の話には微妙に嘘が混じっている」

 (「ビミョー」と書くこともある)俗に、否定的な気分を婉曲にあらわす語。明言したくないときなどにも使う。「『テストできた?』『微妙』」

goo国語辞書

2、3、4の意味が現代でも使われる「微妙(びみょう)」の意味です。

この辞書で挙げられている意味の違いを観ても、1から4にかけて、言葉の意味が徐々に変化していることが窺えます。

4から遡り、2までの意味は、どちらかと言えば、否定的な意味になります。

さて、ここから1のような意味、また仏教でいう肯定的な意味へと、どのようにつながるのでしょうか。

「微」=細かく・複雑、「妙」=Wonderful

微とは、細かいという意味です。厳密にいうならば、とてつもなく細かい、一言では言い表せないほど細かいということになります。そして、細かければ細かいほど、それは複雑になります。

ただし、たとえ単純なことでも、実際は複雑です。

例えば、身体を動かすということも、握るという動作も、私達は単純に行っていますが、どうしてこのように手が動くのでしょうか。

この質問に答えるには、とても細かく、複雑な知識が必要になります。知識があっても難しいかも知れません。

私たちの身体は、いくつもの細胞でできていますが、その数、ざっと数十兆個と言われています。そんな細胞の集まりが、私。そして、その私が意思をもって動いています。

実際この説明をするためには、それら細胞の話、神経、脳、筋肉、骨など、様々なことを説明しなければいけません。

まさに微妙ふくざつなのですが「そんなことしなくても、手を動かせるからいいじゃないか」と思えば、説明をされることさえ「ビミョー」に感じてしまうのは理解できます。

英語でいえば、”not sure” 、よくわかんないですね。これが否定的な意味で受け取る場合になります。

しかし、肯定的に捉えるとすれば、どうでしょうか。

良く考えてみてください。私達が手を動かすこと、そこには様々な身体の組織、細胞などが複雑に働いています。脳なんて、未だに解明されていないことが多いと聞きます。

そんな複雑なこの身体が、実際に、目の前で当たり前のように動いているわけです。

時々、テレビでも人体についての特集番組があります。(外部リンク NHKオンデマンド)

このような事を知ると、私は、この身体が動くこと自体が、とてもすごい事、またとても不思議な事だと思えてなりません。

英語で不思議は “Wonder” です。この不思議が “ful(満ちる)” になって、”Wonderful” 、素晴らしいという意味になります。

微妙の妙は、たえなると読みますが、素晴らしいという意味です。その素晴らしさは、上記のような不思議、Wonderfulという意味合いがあるのではないでしょうか。

私たちの目の前にあること、当たり前にあることは、単純そうにみえて、それはとても不思議で素晴らしい事。まさに<微妙(みみょう)>には、そんな意味が隠されているのです。


当たり前のように、今も私は手を動かしている。そこで何が起こっているか、知らなくても、私は手を動かしてる。

なんだろうか。とても不思議で、そして有り難い。

StartupStockPhotosによるPixabayからの画像

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