夜坐にて|自分

今日はふと坐禅は嫌いだと思っていた自分を思い出した。

あの頃と変わらない自分がいて、でも変わっている自分がいる。

そう感じる自分がいて、でもどの自分も紛れもない自分自身。

自分を見ようと自分に囚われると自分が見えなくなって、自分を忘れるとそういういろんな自分が見えてくる。

そうすると、「これが唯一絶対、揺るぎのないの自分だ」なんて言えるものなんてないことに気づかされる。

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