
禅僧随想録に、仏教トークの新しい記事を書きました。
経典に登場する悪魔は、内面の葛藤を象徴しているのかもしれません。お釈迦さんもその悪魔と向き合った日があったようです。
道元禅師の言葉に、「嗣法これ葛藤としれるまれなり」というものがあります。法を受け継ぐことを、葛藤と知っている者は稀だ——という意味です。
説法することへの迷いや疑念を抱えながら、それでも伝えることをやめなかったお釈迦さんの葛藤の姿を、道元禅師も何かを通じて観ていたのかもしれません。
よろしければ、読んでみてください。

悪魔のささやきと向き合うとき──葛藤は、伝えるために必要なのかもしれない
伝えようとすることが、相手を縛ってしまうとしたら。お釈迦さんも、そんな問いに囚われたことがありました。経典に登場する悪魔をめぐる対話から、葛藤と向き合うことの意味を考えます。
