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今回は、「雑阿含経巻第17-470」からの出典となります。
(四七〇)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時世尊告諸比丘。愚癡無聞凡夫。生苦樂受不苦不樂受。多聞聖弟子。亦生*苦樂受不苦不樂受。諸比丘。凡夫聖人。有何差別。諸比丘白佛。世尊。是法根法眼法依。善哉世尊。唯願廣説。諸比丘聞已。當受奉行。佛告諸比丘。愚癡無聞凡夫。身觸生諸受。苦痛逼迫。乃至奪命。憂愁啼哭。稱怨號呼佛告諸比丘。諦聽善思。當爲汝説。諸比丘。愚癡無聞凡夫。身觸生諸受。増諸苦痛。乃至奪命。愁憂稱怨。啼哭號呼。心生狂亂。當於爾時。増長二受。若身受若心受。譬如士夫身被雙毒箭極生苦痛。愚癡無聞凡夫。亦復如是。増長二受。身受心受。極生苦痛。所以者何。以彼愚癡無聞凡夫不了知故。於諸五欲。生樂受觸。受五欲樂。受五欲樂故。爲貪使所使。苦受觸故。則生瞋恚。生瞋恚故。爲恚使所使。於此二受。若集若滅若味若患若離。不如實知。不如實知故。生不苦不樂受。爲癡使所使。爲樂受所繋終不離。苦受所繋終不離。不苦不樂受所繋終不離。云何繋。謂爲貪恚癡所繋。爲生老病死憂悲惱苦所繋。多聞聖弟子。身觸生苦受。大苦逼迫。乃至奪命。不起憂悲稱怨。啼哭號呼。心亂發狂。當於爾時。唯生一受。所謂身受。不生心受。譬如士夫被一毒箭。不被第二毒箭。當於爾時。唯生一受。所謂身受。不生心受。爲樂受觸。不染欲樂。不染欲樂故。於彼樂受。貪使不使。於苦觸受。不生瞋恚。不生瞋恚故。恚使不使。於彼二使。集滅昧患離如實知。如實知故。不苦不樂受癡使不使。於彼樂受。解脱不繋。苦受不苦不樂受。解脱不繋。於何不繋。謂貪恚癡不繋。生老病死憂悲惱苦不繋。爾時世尊。即説偈言 多聞於苦樂 非不受覺知 彼於凡夫人 其實大有聞 樂受不放逸 苦觸不増憂 苦樂二倶捨 不順亦不違 比丘勤方便 正智不傾動 於此一切受 黠慧能了知 了知諸受故 現法盡諸漏 身死不墮數 永處般涅槃佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻119頁c段28行 – 120頁b段14行)
国訳一切経阿含部2巻64頁も参考にしました。
仏弟子と凡夫(仏弟子でない人)の違いは?
お釈迦さん。質問があるのですが、よろしいでしょうか?
何ですか?
仏弟子と凡夫(仏弟子ではない人)の違いって何ですか?
違いですか?
【矢のたとえ|「受(仏教用語)」の教え】
↓↓↓
【第二の矢とは?|「五蘊(仏教用語)」の教え】
を用いてお釈迦さんが説いてくれます。