お釈迦さんと食いしん坊な王様とのお話。
この王様は、古代インド、コーサラ国の王で、名をパセーナディと言います。彼は毎日大食いを繰り返し、その身体は、まんまるに太っていたそうです。
そんな彼に対する食に関するアドバイス、それが今回ご紹介するお話です。
エピソード(雑阿含経巻第42-1150「喘息経」)
コーサラ国の首都、シラーヴァスティ。
ここに、パセーナディという一人の王様がいました。彼はとても食いしん坊で、毎日毎日たくさんのご飯を食べていました。その身体は、肥えに肥え、まんまると太っていたそうです。
ある日、お釈迦さんが近くやって来ることを聞いた彼は、一目、お釈迦さんに会ってみようと思いました。
その日の朝、彼はいつものように大量の朝ご飯を済ませ、召使いの少年と共に、お釈迦さんのもとに向かいました。
しかし、パンパンに膨らんだ彼の胃と、その丸々とした身体では、歩くのでさえ一苦労。
お釈迦さんの下に着く頃には、その息はフゥフゥと苦しそうで、全身にはダラダラと汗が流れていました。
その様子を遠くから見ていたお釈迦さんは、彼が近づくなり、すぐにこう言いました。
「しっかりと気をつけて、自分に応じた量を知り、節度をもって食事をとりなさい。そうすれば、苦しみは少なくなって、安らかに、長く生きることができるでしょう」
それを聞いた王様は、何か考える所があったのでしょう。共に来た召使いの少年に、こう頼みました。
「よいか。今、お釈迦さんが言った言葉をそのまま覚えておきなさい。私が食事をする時に、その言葉を毎回唱えておくれ。お駄賃もあげるからよろしく頼む」
「かしこまりました! 王様」
そこで少年は、お釈迦さんに頼んで、一生懸命この言葉を暗記しました。
それからというもの、王様がご飯食べる時にはいつも、この召使いの少年がお釈迦さんの言葉を唱えました。毎回毎回、この言葉を聞く度に王様の頭の中には、お釈迦さんとのやりとりが思い浮かびます。
するとどうでしょう。日に日に、王様の食事の量が減っていったのです。
やがて王様の身体にも、ある変化が現れました。身体は徐々に痩せていきました。身体も健やかになってきました。容姿も端麗になっていきました。
王様は大変喜んで、お釈迦さんがいるであろう方角に向かって手を合わせて、こう言ったそうです。
「お釈迦さんは、私に二つのご利益(りやく)をお恵み下さった! 私はあなたのおかげで、現在のご利益(元気で容姿端麗な身体)と未来のご利益(長寿と健康)を手に入れた!」と。
メッセージ
お釈迦さんの時代から、僧侶がご飯を食べる時に用いる器を「応量器(おうりょうき)」と言います。
文字を分解すると、「適応を量る器」。まさしくお釈迦さんの言葉にあるように、「自分に応じた量を知る」ための器です。
曹洞宗の修行道場では食事の際、応量器を用い、細かな作法に基づいて食事をします。
おかわり等の作法もあるにはあるのですが、必然的に一食の量はだいたい決まってきます。しかし当時、私は応量器の意味すら考えもしませんでした。
それまでの人生の中で、食べ物を当たり前のように食べていた私にとっては、応量器を使った道場の食事はとても物足りないものでした。
そこで私は、なんとかしてこの物足りなさを満たそうと考えました。実際に裏で余っていたご飯を食べたりしていました。
ところがある日、私は自分の足に違和感を覚えました。その正体は、現代ではあまり聞くことがない「脚気(かっけ)」という病気でした。
脚気はビタミンB1の不足によって起こる病気です。現代からにしてみれば栄養不足による病気ということになるのでしょう。しかし一方で江戸時代では、脚気は贅沢病とも呼ばれていました。
今でこそ当たり前に食べられている白米。白米は玄米から精米してつくります。
ただ精米される過程でビタミンB1を含む栄養がそぎ落とされるため、玄米の方が白米に比べ栄養が高いとも言われています。
一方で手間がかかる分、昔は玄米や雑穀より白米の方が高価でした。江戸時代では高価な白米をよく食べていた人ほど脚気になりました。
脚気が贅沢病と呼ばれる所以です。
私が脚気になった原因は詳しくわかりません。ただ上記のような脚気の知識もなく、栄養バランスも全く考えていませんでした。
そして、現代の食事環境とは異なる昔ながらの道場の食事環境に物足りなさを感じ、我慢できずに裏でコソコソと白米をおにぎりにして、よく食べていたのは事実です。
考えもなしに、欲するままに、白米を食べていました。そして気づけば、脚気という病気になっていました。
私はこの時初めて、食欲の恐ろしさを実感しました。
今思えば、食欲に翻弄される私の姿は、このエピソードに登場する、まんまるに太った国王の姿と重なります。お釈迦さんの国王に対するアドバイスは、そのまんま私に対するアドバイスでした。
「応量器」の示すところも、このエピソードの示すところも、「自らに応じた量を知る」ということです。適応とは、過不足なく、その場の状況や条件に当てはまることです。
ここで思い起こすのが、「中道」の教えです。食べるということも、中道の具体的な実践と繋がっているわけです。
もちろん食べ過ぎは私達の身体に、様々な悪影響を与えます。しかし私達は食べなければ生きていけません。
「食べる」ということは、「生きる」ということであり、「どう食べるか」は「どう生きるか」ということに結びつきます。それだけ食べるということは、私達の生き方を表すほどの影響力があるのだと思います。
このエピソードは修行が特別なものではなく、むしろ私達の身近な出来事が、仏教の実践と結びついていることを示すものだと思います。
私にとっては実体験と結びつきながら、食に対して考えるきっかけを与えてくれました。