今回の話には、「古城」が出てきます。
偶然ですが、荒村寺の 山号には「古城」が使われていることもあり、荒村寺を知る人には、是非読んでいただきたいエピソードです。
エピソード(雑阿含経巻第12ー287「城邑経」)
ある時、祇園精舎にて。
お釈迦さんは多くの弟子の前でこのような話をしました。
「私はただ先人達が歩いた道を見つけただけ。昔の人々が歩んだ軌跡が道となり、私は今、その道に沿って歩いています」
そう言うとお釈迦さんは、こんな例え話を始めました。
「昔、あるところに、一人の旅人がいました。ある時、彼は旅の途中で道に迷い、草木が無造作に生い茂る荒野に辿り着きました。
彼は道を探そうと、草木をかき分けながら更に歩を進めました。しばらくすると、彼は道らしきものを見つけました。それはどうやら昔の人々が行き来してできた道のようです。
彼はその道に沿って、更に歩を進めました。前へ前と……。
その道の先にあったのは、雄大にそびえる美しい古城でした。美しく華が咲き乱れる庭園、透きとおるように綺麗な湖、そして、昔の人々が住んでいたであろう城下の町は、立派な城壁に囲まれていました。
『本当に素晴らしいところだ……』と彼は思いました。
自分の国に帰った旅人はすぐに、旅先で見つけた美しい古城の事を王様に報告しました。そして彼は王様に、その場所に都をつくることを提案しました。
この話を聞いた王様は、直ちに人を向かわせ、その場所に都城を築きました。するとその都城は、みるみるうちに発展し栄え、多くの人が集まりました」
例え話に続けて、お釈迦さんは更に弟子達に言いました。
「この話と同じく、私も先人達が辿った古道を発見したのです。その道がいわゆる、私が 八正道と呼ぶ仏教の実践です。その道に従って私は苦しみを解決する道を見つけました。
私はこの法において、自ずから知り、自ずから目覚め、様々な人々に語りかけました。それを聞き、感銘を受けた人々が、またその話を人々に語りました。
そうして自ずと法は栄え、あなた達を含め、多くの人々に知られるまでに至ったのです」
メッセージ
偶然にも、この話と荒村寺の 山号が同じく「古城」と関連している今回のエピソード。しかし、私がこの話で一番興味を引いたのは、そこではありません。
法とはどういうものなのか?
古道を例にあげてお釈迦さんが説いているところです。
法というと、厳密に言えば様々な意味がありますが、簡単に言えば、お釈迦さんの教え、つまり仏の教えという意味があり、また、真実や悟りという意味でも使われます。
仏法だとか、仏の教え、また真実や悟りなどという言葉を聞くと、何やら崇高で、神聖なイメージが浮かんできて、私達凡人には及ばない特別なものを想像させます。
これは昔、私自身も知らず知らずのうちに勝手に抱いていたイメージでした。
しかし、お釈迦さんが古道に例えて、法について説いているのを考えると、どうもそのイメージとは違うように思えて仕方ありません。
お釈迦さんの「先人達が辿った古道を発見した」の一言には、掘り下げていくと様々なメッセージが込められているように思います。
その一つとして、古道というのは言い換えれば、その昔、誰かがそこを歩いた確かな痕跡です。誰かが歩かなければ、そこに道はできません。多くの先人達が歩いた跡、それが古道です。
古道に例えられる法は、お釈迦さんだけが知りえるものではありません。
お釈迦さんはただ、そこにあった道を発見しただけなのです。その道は常にそこにあって、それは誰もが発見することができるものです。
決して特別で、誰にも手の届かない崇高なものでもなく、むしろ、自分の身近にある、足下にあることを伝えているように思います。
誰もが法に出会うことができて、自然と当り前のようにあるものだと。
案外、法というのは、特別なものにしようとすることで、見えなくなるものかもしれません。