第10話「古城に至る道」

更新日 2017-08-09

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第10話「古城に至る道」

今回の話には、「古城」が出てきます。
偶然ですが、荒村寺の山号には「古城」が使われていることもあり、
荒村寺を知る人には、是非読んでいただきたいエピソードです。

エピソード(雑阿含経巻第12 287「城邑経」)

ある時、祇園精舎にて。
お釈迦さんは多くの弟子の前でこのような話をしました。


「私はただ先人達が歩いた道を見つけただけ。
 昔の人々が歩んだ軌跡が道となり、
 私は今、その道に沿って歩いています」


そう言うとお釈迦さんは、こんな例え話を始めました。


「昔、あるところに、一人の旅人がいました。
 ある時、彼は旅の途中で道に迷い、
 草木が無造作に生い茂る荒野に辿り着きました。

 彼は道を探そうと、草木をかき分けながら更に歩を進めました。
 しばらくすると、彼は道らしきものを見つけました。
 それはどうやら昔の人々が行き来してできた道のようです。

 彼はその道に沿って、更に歩を進めました。前へ前と……。

 その道の先にあったのは、雄大にそびえる美しい古城でした。
 美しく華が咲き乱れる庭園、透きとおるように綺麗な湖、
 そして、昔の人々が住んでいたであろう城下の町は、
 立派な城壁に囲まれていました。

 『本当に素晴らしいところだ……』と彼は思いました。


 自分の国に帰った旅人はすぐに、
 旅先で見つけた美しい古城の事を王様に報告しました。
 そして彼は王様に、その場所に都をつくることを提案しました。

 この話を聞いた王様は、直ちに人を向かわせ、
 その場所に都城を築きました。
 するとその都城は、みるみるうちに発展し栄え、
 多くの人が集まりました」


例え話に続けて、お釈迦さんは更に弟子達に言いました。


「この話と同じく、私も先人達が辿った古道を発見したのです。
 その道がいわゆる、私が八正道と呼ぶ仏教の実践です。
 その道に従って私は苦しみを解決する道を見つけました。

 私はこの法において、自ずから知り、自ずから目覚め、
 様々な人々に語りかけました。
 それを聞き、感銘を受けた人々が、
 またその話を人々に語りました。

 そうして自ずと法は栄え、あなた達を含め、
 多くの人々に知られるまでに至ったのです」
古城に至る道.jpg

メッセージ

偶然にも、この話と荒村寺の山号が
同じく「古城」と関連している今回のエピソード。
しかし、私がこの話で一番興味を引いたのは、そこではありません。

法とはどういうものなのか?
古道を例にあげてお釈迦さんが説いているところです。

法というと、厳密に言えば様々な意味がありますが、
簡単に言えば、お釈迦さんの教え、つまり仏の教えという意味があり、
また、真実や悟りという意味でも使われます。

仏法だとか、仏の教え、また真実や悟りなどという言葉を聞くと、
何やら崇高で、神聖なイメージが浮かんできて、
私達凡人には及ばない特別なものを想像させます。
これは昔、私自身も知らず知らずのうちに
勝手に抱いていたイメージでした。


しかし、お釈迦さんが古道に例えて、
法について説いているのを考えると、
どうもそのイメージとは違うように思えて仕方ありません。
お釈迦さんの「先人達が辿った古道を発見した」の一言には、
掘り下げていくと様々なメッセージが込められているように思います。

その一つとして、古道というのは言い換えれば、
その昔、誰かがそこを歩いた確かな痕跡です。
誰かが歩かなければ、そこに道はできません。
多くの先人達が歩いた跡、それが古道です。

古道に例えられる法は、
お釈迦さんだけが知りえるものではありません。
お釈迦さんはただ、そこにあった道を発見しただけなのです。
その道は常にそこにあって、
それは誰もが発見することができるものです。

決して特別で、誰にも手の届かない崇高なものでもなく、
むしろ、自分の身近にある、
足下にあることを伝えているように思います。
誰もが法に出会うことができて、自然と当り前のようにあるものだと。

案外、法というのは、特別なものにしようとすることで、
見えなくなるものかもしれません。

2013年12月サイン鳥.gif

最後までお読み頂き、ありがとうございました。