第2話「頑張り屋のアヌルッダさん」

更新日 2017-08-09

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第2話「頑張り屋のアヌルッダさん」

前回、お釈迦さんとアヌルッダさんのお話を載せました。
実はその話に続く、
アヌルッダさんが失明する以前のエピソードあります。
今回はその物語を紹介したいと思います。

エピソード(増一阿含経巻第31 5)

ある時、祇園精舎にて。

お釈迦さんは大勢の人々の前で教えを説いていました。
しかし、あろうことか一人のお坊さんが、
ウトウトと居眠りをしていたのです。
それが、アヌルッダというお坊さんでした。
お釈迦さんは、説法を終えてからアヌルッダさんを呼びました。


「あなたはなぜ、わざわざ出家までして、この道を学ぶのですか?」


「私には迷いがあり、悩みがあります。
 これを解決するために、学んでいるんです」


「では今日、私が教えを説いていた時に、
 居眠りしていたのは、どういうことですか?」


その言葉を聞いたアヌルッダさんは、
即座に自分の失態に気付きました。
そして彼は深くひれ伏しました。


「これより以後、私アヌルッダは、
 師の前で眠るようなことは致しませんと誓います」


それからというもの、彼は睡魔と闘い、
お釈迦さんの前で眠ることはありませんでした。

……がしかし、アヌルッダさん自身はお釈迦さんの前で、
「眠らない」という誓いを立てたその日から、
夜になっても眠りません。
人間としての彼の身体は、眠らないわけにはいきません。
連日連夜、睡魔と闘った彼は、次第に目を病んでしまいました。

それを知ったお釈迦さんは、再びアヌルッダさんを呼びます。


「アヌルッダ。
 あまり自分を苦しめてやりすぎるのも善くないですよ。
 怠けるのは避けねばいけませんが、
 やりすぎるのも避けねばいけません。
 あなたはその中道にいなければいけないのですよ」


「いいえ、私はすでにお釈迦さんの前で、誓いを立てました。
 その誓いの言葉に、反することはできません」


自分の誓いを曲げることはできない。
アヌルッダさん断固としてそう言いました。
お釈迦さんの言葉は、彼の耳に届きません。
そこでお釈迦さんは、ひとまずアヌルッダさんの眼を治療しようと、
シヴァカというお医者さんに治療を頼みました。

すぐにシヴァカさんは、アヌルッダさんの下へ行き、
診察を行います。
そして、彼はその結果をお釈迦さんに報告しにいきました。


「寝たら治りますよ」


「!?


この結果を聞いたお釈迦さんは、
再びアヌルッダさんを呼び出します。


「アヌルッダ、あなたは眠らなければいけません。
 全てのものには糧(かて)が必要なのです。
 私が言う悟りにもまた、糧があるように、
 眼には睡眠という糧が必要なのですよ」


「なるほど……。
 ちなみに悟りの糧とは、一体どういうものなのですか?」


「それは不放逸(ふほういつ)、
 つまり怠らないことをもって糧とします」


「……。眼は睡眠をもって糧とするということもわかりますが。
 やはり、私は眠ることはできません」


アヌルッダさんは、お釈迦さんの説得に応じませんでした。
その後も彼は眠らず、
ついには彼の眼は見えなくなってしまいました。




そして、第1話「福の道」のお話に続きます。

メッセージ

冒頭、力を抜き過ぎて、居眠りをしてしまったアヌルッダさん。
努力を怠っているその姿を見て、お釈迦さんは戒めます。
心を入れ替えた後のアヌルッダさんは、
今度は力を入れ過ぎてしまい、ついには失明してしまいました。
このこと対しても、お釈迦さんは戒めていました。

このアヌルッダさんの修行に対するこのような姿勢に、
私はとても考えさせられました。

確かに、怠けずに「頑張る」ということは、大事なことです。
お釈迦さんの台詞にも、こうあります。
「悟りの糧は不放逸、つまり怠らないことだ」と。
しかし、だからといって、やりすぎるのもよくありません。
ここでは「中道にいなければいけない」とお釈迦さんの言葉があります。



中道とは、仏教の核となる教えの一つです。
簡単にいえば、中道とは二つの極端な道に偏らないことです。

例えば、車の運転時の事をイメージすれば、わかりやすいと思います。
お釈迦さんは車が左に寄っていたら、
「右に寄りなさい」と言ってくれます。
また右に寄っていたら、
「左に寄りなさい」と言ってくれます。

「右に寄りなさい」と言われて、
アヌルッダさんは「右に寄る」ことを覚えました。
それはお釈迦さんに教えられた「正しい導き」には違いありません。
しかし、その「右に寄る」という導きが「正しい」と思い、
頑なにそれを行ってしまうとどうなるか?

車は道を外れ、事故になります。

この話で例えるならば、
「左に寄ることが、怠けること」
「右に寄ることが、頑張ること」
になるでしょう。

最初、居眠りをしていたアヌルッダさんは、お釈迦さんに戒められ、
「頑張る」ことを覚えました。
それはお釈迦さんに教えられた「正しい導き」には違いありません。
しかし、その「頑張る」という導きが「正しい」と思い、
頑なにそれを行ってしまうとどうなるか?

頑張れば頑張るほど自らを傷つけ、
その結果、彼は目を失明してしまいました。



怠惰であることは良くない。だから頑張ろう。
そうやって、頑張れば頑張るほど、自分に無理をさせてしまい、
結果自分自身を傷つけてしまう。
皆さんもこのような経験がないでしょうか?
私にはこの話が決して他人事のように感じられませんでした。

「正しい」とはどういうことなのか?
今読んでもそれを考えさせられます。

2013年2月サイン鳥.gif

最後までお読み頂き、ありがとうございました。