仏教エピソード㉛「最期の言葉」

大衆だいしゅもう

生死しょうじじだいなり

無常むじょう迅速じんそくなり

各々おのおのよろしく醒覚せいかくすべし

つつしんで放逸ほういつすることなか

メッセージ前編

上の写真は、木版もくはんと呼ばれる鳴物ならしものの一種です。

お寺で音の鳴る物として、皆さんがイメージするのはなんでしょうか?

除夜の鐘? それとも木魚でしょうか?

実はそれ以外にも寺院にはこういった鳴物が数多くあります。

鐘(しょう)、鼓(く)、版(はん)、手磬(しゅけい)、磬(けい)、槌(つい)、魚鼓(ぎょく)、鼓鈸(くはつ)、戒尺(かいしゃく)、柝(たく)、木魚(もくぎょ)、鈴(れい)などなど……。

それぞれ鳴物には意味があるのですが、この木版は諸事を知らせる時に用います。ちなみに荒村寺の禅教室では、皆さんに本堂に集まってほしい時、例えば坐禅が始まる少し前などに鳴らしています。

荒村寺の坐禅会に来られる方にとっては、この木版の音はすっかりお馴染みだと思いますが、実はここにもお釈迦さんにまつわるエピソードが隠れています。

正確には、私がこの木版の文字に初めて関心を寄せた時に、瞬時に結びついたのが、このお釈迦さんの最期の言葉でした。

エピソード(長阿含経巻第四「遊行経」)

お釈迦さんは弟子達に言いました。

「皆さん。もし仏に関して、また法に関して、僧(つどい)に関して、何か疑問があったら、また道に関して何か疑問があったら、どうぞ何でも聞いてください。後になって、あの時聞いておけばよかったと、後悔しないように」

しかし弟子達は黙り続けていました。お釈迦さんはまた弟子達に言いました。

「皆さん。もし恥を感じて敢えて問わないのであれば、友人から聞いてもらってもいいですよ。後になって後悔のないように」

しかしまた弟子達は、また黙り続けていました。そこで弟子の一人であるアーナンダさんが言いました。

「私は信じています。ここにいる皆は仏に関して、法に関して、僧に関して、また道に関して、誰一人疑っているものはいないと」

「私もまたこのように思います。今ここに集まる弟子の中で、どんなに若く未熟な者でも、きっと道を見つけ、外れることがないでしょう」

そこでお釈迦さんは最期に告げました。

「では、皆さん。私はあなた達に告げます。あらゆるものは変わりゆき、この世に常なるものは無い。怠ることなく落ち着いて、修行に精進してください」


大衆に白す

皆の者に申し上げる

生死の事は大なり

生死の問題は重大な事である

無常は迅速なり

あらゆるものの変化は本当に速やかである

各々宜しく醒覚すべし

各々ぜひとも目を覚ましなさい

慎んで放逸すること勿れ

慎んで怠ることのないように

メッセージ後編

いかがでしょうか?

木版の音を聞いた時、こんなメッセ―ジが込められていることを、私は時々思い出します。それと同時に思い出すのが、お釈迦さんの最期の言葉。

最後まで、弟子に応えようとしていたお釈迦さんの想い。そして最期の最後に、弟子達のために残した言葉。時を隔ててなお、こうして今の私達にも語りかけてくれる。

そんなことを想うと、怠けずに精進しようと気持ちが、どこからともなく湧いてくる気がします。

2017年1月

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