第7話「答えない」

更新日 2017-08-09

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第7話「答えない」

「毒矢の喩え」として有名なお話。
哲学好きなマールンキヤさんとお釈迦さんが登場します。

彼は当時流行していた
哲学的な問題についてよく質問していました。
お釈迦さんはその問いに対して、
はっきりした答えを一切与えてくれません。
不満に思う彼と、お釈迦さんとのやり取りを記したエピソードです。

エピソード(中阿含経巻第60 221「箭喩経」)

ある時、祇園精舎にて。

お釈迦さんの弟子であるマールンキヤさんは、
一人静かに座っていました。
その時、彼は心の中でこう思いました。


(師匠はいつも僕の質問について答えてくれないなぁ……。
 説こうともしないし、聞けば拒むし……。

 世界は永遠なのか、はたまた、いつか無くなるのか?
 世界には果てがあるのか、はたまた、果てがないのか?
 魂と身体は一体なのか、はたまた、別なのか?
 人は死後も存在するのか、はたまた、しないのか?

 こういう問題について何にも答えてくれない……。
 正直不満だし、もう我慢できない。

 ……よし! もう一度師匠に聞いてみよう!
 もし師匠が何にも答えてくれなかったら、
 今度ばっかりはあきらめて弟子をやめてやる!)


そう決意した彼は、すぐにお釈迦さんの下に向かいました。


「師匠! 僕はもう我慢できません。
 あなたは僕の問いに、いつも答えてくれませんよね。

 『世界は永遠なのか? それともいつか無くなるのか?』
 って聞いても、それについて何にも説いてくれない。

 『世界は果てがあるのか? それともないのか?』
 って聞いても、答えを拒む……。もう耐えられません。

 僕は最後にもう一度、あなたに問います。
 それでも答えてくれないと言うのであれば、
 僕はあなたの弟子をやめて元の生活に帰るつもりです。

 師匠! もし知っているのならば、ちゃんと答えて下さい!」


その言葉を受けて、お釈迦さんは静かにこう言いました。


「マールンキヤ。私はあなたに
 『それについて答えをあげるから、私の下で学びなさい』
 と言いましたか?」


「いいえ、そうは言ってませんが……」


彼は言葉を失い、黙ってしまいました。
お釈迦さんは、このままでは彼が納得しないと思ったのでしょう。
続けてこう言いました。


「マールンキヤ。仮にここに
 『世界は永遠である、もしくはいつか無くなる。
  この答えをくれない限り、私はあなたの下で学ばない!』
 と言う人がいたとします。

 もしその時、私がその問いに答えなかったならば、
 その人は私の下で学ぶことなく、その真実を知ることもなく、
 いずれ命尽きるでしょう。

 それはどういうことかというと、マールンキヤ。
 仮に、ここに毒矢で射られた人がいたとします。
 近くにいた友人はその人を助けようと
 大急ぎで医者を呼びました。

 しかし駆け付けた医者に対して、その人はこう言いました。
 『俺を撃った奴はどんな奴だ?
  俺を撃った弓はどんな弓だ?
  俺を傷つけた矢はどんな矢だ?
  矢柄は? 矢じりは? 羽根は?
  それがわからないうちは、この矢を抜くな!』

 もしその時、医者がその問いに答えなかったならば、
 その人は毒矢を抜くことなく、その真実を知ることもなく、
 いずれ命尽きるでしょう」


「なるほど……」


毒矢の喩えに合点のいったマールンキヤ。
お釈迦さんの言葉に耳を傾けます。


「マールンキヤ。
 『世界が永遠である』という答えがあれば、学ぶのかね?
 そうではなかろう。
 『世界は、いつか無くなる』という答えがあれば、学ぶのかね? 
 そうではなかろう。

 仮に『世界は永遠』だと答えれば、
 その答えに囚われて、あなたは逆に悩んでしまうでしょう。
 また仮に『世界はいつか無くなる』と答えれば、
 その答えに囚われて、あなたは悩んでしまうでしょう。

 私はあなたが生きる上で、
 悩みや苦しみを解決するために説いているのですから」


「ぁあ、そうか……」


お釈迦さんは続けて説きます。


「いいかい。マールンキヤ。
 だから私が答えないものは、答えないものとして、
 そのまま受けとめなさい。
 また私が答えるものは、答えるものとして、
 そのまま受けとめなさい」


「はい!」


そして最後に、お釈迦さんはこう言いました。


「世界が永遠だの、無くなるのだの……。
 有限だの、無限だの……。
 魂と身体は一体だの、別だの……。
 人は死後存在するだの、しないだの……。 

 私は『そうだ!』とも、『そうでない!』とも答えません。
 それは何故か?

 その答えは根拠によるものにならないからです。
 それは実に役に立たず、あなたのためになりません。
 だから私は答えないのです。

 ではマールンキヤ。私は何を答えましたか?
 私は苦しみについて説き、そしてその原因はなんであるのか、
 について説きました。

 苦しみの解決について語り、それにはどうすればいいのか、
 を語りました。

 これらについて答えたのは、
 実に役に立って、あなたのためになるからです。

 いいですか。マールンキヤ。
 だから私が答えないものは、答えないものとして、
 そのまま受けとめなさい。
 また私が答えるものは、答えるものとして、
 そのまま受けとめなさい」


「わかりました!」


マールンキヤさんは喜び、お釈迦さんの言葉を深く受けとめました。答えない.jpg

メッセージ

この毒矢の喩えは、「無記」を示す話として有名です。
無記とは「記していない」。
つまり、お釈迦さんが「答えなかった」「説かなかった」
という意味です。

私はそれを知るまで、仏教が死後の事や魂について、
なんらかの形で答えているものだと思っていました。

私は大学生の頃、宗教学に興味を持ち、
様々な宗教の死生観に興味を持っていました。

学者ではないので自分なりにですが、
三大宗教と呼ばれる仏教・キリスト教・イスラム教の死生観を、
歴史的に遡りながら調べていました。
だからこのエピソードはある意味で驚きでした。


古代インドの哲学者達の多くは、
現代の科学者でもわからないようなことについて、
議論を重ねていたそうです。

例えば話の中で出てきた、このような問いです。

「世界は永遠なのか、はたまた、いつか無くなるのか?
 世界には果てがあるのか、はたまた、果てがないのか?
 魂と身体は一体なのか、はたまた、別なのか?
 人は死後も存在するのか、はたまた、しないのか?」

お釈迦さんはこのような問いに対しては、
答えようとはしませんでした。

何故答えないのかというと、
世界に果てがあろうと無かろうと、死後存在しようがしまいが、
私達が今「どのように生きるか」を考える上で
役に立たない事だからです。

そんなことよりも、まずは毒矢を抜くこと。
つまり不安や悩み・苦しむことの解決が先決だという、
お釈迦さんの立場が明確に示されています。

確かに仏教には哲学的なところもありますが、
哲学と言っても、人が見たり聞いたり体感できないことや、
自ら経験できないようなことは扱いません。
いくら頭の中で考えて結論を出そうとも、
そこには根拠がないからです。

仏教はその結果と原因の関係がはっきりせず、
根拠のないものは扱いません。
このような姿勢は、
私が仏教により関心を抱くきっかけなった理由の一つです。


「答えないということは、わからないことなんだ」
「結論が出ず、わからないことは、わからないままにしておきなさい」
私はそのように受けとめました。

いくら頭の中で物事を考えても、わからないことはたくさんあります。
またとりあえず、何か自分でやってみることで、
わかってくることもたくさんあります。

根拠のない答えを出さないよう結論を急がず、
やるべきことからまず行っていく。
毒矢の喩えはそのことを私に教えてくれました。

話に登場するマールンキヤさんにとって、
また様々な宗教の死生観に興味を持っていた私にとっても、
お釈迦さんのいうところは的確なアドバイスであったように思います。
この姿勢は今でも私の中で大切にしています。

2013年9月サイン鳥.gif

最後までお読み頂き、ありがとうございました。