エピソード

仏教エピソード一覧

仏教エピソード㊱「やってみえる」(南獄磨甎の話)

南獄磨甎×坐禅×旅。今回のエピソードは有名な禅問答です。師である南獄懐譲(なんがくえじょう)さんと弟子の馬祖道一(ばそどういつ)さんの師弟間の問答となります。この話は『景徳伝灯録』にあるのですが、今回は道元禅師さんの書物を基に訳しました。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉟「大事な当たり前」

諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。七仏通戒偈は、お釈迦さんだけではなく、仏教で代々共通して保たれ、仏教の思想が要約された詩偈とも言われています。良い事、悪い事とは何なのでしょうか。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉞「子供を亡くした母親キサーゴータミー」

このキサーゴータミーの話には学ぶべきところがたくさんあります。その中で特に私が感銘を受けたことが、当たり前のことに気づく事で彼女が救われたことです。当たり前のことに気づく大切さを教えてくれます。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉝「四の馬」

四種の馬。「この四頭のうち、どの馬が一番良い馬なのか?」このエピソードを読んで、そう考えなかったでしょうか。しかし、そのような理解は、どうやら勘違いだったようです。何にせよ、仏道ちかきものは、かならずこの話をきくことがあるはずです。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉜「最初の説法」

実はお釈迦さんの最初の最初の説法は、大失敗に終わりました。私も最初の説法と言えば、サールナートでの説法だと思っていましたが、成功の裏にはこのような失敗があったわけです。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉛「最期の言葉」

「白大衆、生死事大、無常迅速、各宜醒覚、慎勿放逸」とお寺の木版に書かれています。これはお釈迦さんの最期の言葉。木版が鳴る音を聞くと、私の頭の中には、お釈迦さんの最期の言葉が思い浮かぶことがあります。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉚「法を伝える」

悟りを開いてまだ間もない頃、お釈迦さんはある葛藤を抱いていました。悟りを開いても葛藤しては悩むお釈迦さん。この葛藤こそが、法の伝わり、その始まりなのではないでしょうか。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉙「拠り所」

悟りを開いてまだ間もない頃、お釈迦さんはある葛藤を抱いていました。それは拠り所について。これも法の探る一つの手がかりではないでしょうか。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉘「琴の音色」

無我というのは「我が無い」のではありません。「我が無い」だと、琴の音色を欲した王様のようなことになってしまうかもしれません。無我というのは「我で無い」のです。それは自己をみつめて、見えてくること。
仏教エピソード一覧

仏教エピソード㉗「賢い兄と愚かな弟」

仏教の智慧は、知恵ではありません。智慧には知恵にない意味が含まれています。知識を詰め込むだけでなく、実践を通して得ていく理解があるからこその智慧。分解すれば彗と心となる慧という字にもそのことが示されています。
タイトルとURLをコピーしました