神通力で有名なモッガラーナさんの人物像

サーリプッタさんの親友で、二人そろって、二大弟子とも称されるモッガラーナさん。

目連もくれんとも呼ばれる事が多いですが、経典では、目犍連もくけんれんと書かれています。

神通第一とも称されています。

経典から探るモッガラーナさんの人物像

お釈迦さんの弟子になる前からサーリプッタさんと仲が良かったモッガラーナさん。

サーリプッタさんについての記事に、モッガラーナさんと共にお釈迦さんの弟子となった経緯を書きましたが、親友と呼べる間柄だったことがうかがえます。

親友のサーリプッタさんは智慧第一と称されるように、経典内において、仏教の教えについて詳細に説く事が多く、またお釈迦さんとの対話でも、教えの内容を詳細に語り合うことが多く見られます。

一方、モッガラーナさんは、教えについて具体的に言及するものが少なく、また、お釈迦さんと直接対話している描写が少ないように思えます。

ちなみに、お釈迦さんの弟子になったからといって、師匠と弟子が常に同じ場所で過ごしていたというわけではありません。

お釈迦さんとその弟子達は、基本的には、遊行ゆぎょうといって、各自が各地を転々としていました。

安居あんご(一定期間集って集団生活する時期)はありましたが、その拠点としていた場所も、決して一つではありませんでした。

ですから、お釈迦さんとあまり出会う機会が無かった弟子もいたと推察できます。

経典内に、モッガラーナさんとお釈迦さんが直接対話する描写が少ないのは、そのような理由があったからかもしれません。

しかし、モッガラーナさんの場合、遠く離れたお釈迦さんと神通力で対話するという描写をよく見かけます。

ここだけ切り取ると「電話でもないのに遠くの人とも話せるなんて、神通力、まさしく、特殊能力!!!」と思われてしまうかもしれません。

しかし、この神通力に関する経典内の描写をいくつか読んでいると、また違った捉え方をすることができます。

神通力とは?

モッガラーナさんは、神通力を用いて、遠く離れたお釈迦さん、また帝釈天たいしゃくてん等、天の神様と対話している描写があります。

こうした神様(仏教エピソード30)悪魔の描写(仏教えエピソード4)については、モッガラーナさん以外の人物でも、経典内でたびたびみかけます。

しかし、私は、それらの描写を文字通りには受け取らず、その人物の心理描写として受け取っています。

心理描写としての神通力

良心や自信、不安や誘惑など、それら心理状況を表現する際に、それぞれ、神様や天の声、あるいは、悪魔のささやきをつかって描写することができます。

よくアニメや漫画などで、天使と悪魔を使って、心の葛藤を表現していますが、それと同じようなものだと考えてください。

このように、神様や悪魔を心理描写として捉えると、神通力というのも、一つの表現として受け取ることができます。

例えば、遠くの人と話すことができるという神通力。

これも自分が悩んだり、不安になったりした時に、自分の尊敬している人が心の中に現れて「きっとこの人がここにいたら、こういうだろうな」と思い馳せている様子。

こうした心理描写の一つとして、捉えることができるのではないでしょうか。

表現力と神通力

また、経典内には、モッガラーナさんの所に、他の弟子達が相談にやってきて、その際に神通力の描写がされている所もあります。

ここで使わている神通力も、一つの心理描写として捉えた上で、そのお話をご紹介したいと思います。

※経典から直接翻訳したのは太字の部分のみです。

雜阿含經卷第19-506より

夏安居げあんごの頃(春から夏にかけて約3カ月間続く雨期の時期)、モッガラーナさんは祇園精舎にいました。

一方、お釈迦さんはといいますと、別の所に滞在していました。

ある日、祇園精舎にいた弟子や信者の方々合わせて数人が、モッガラーナさんの所にやってきました。

彼らはモッガラーナさんに尋ねました。

「今、お釈迦さんはどこにおられるのですか?」

「その場所を知っていますか?」

その質問の意図を考えると、今ここにいないお釈迦さんに会いたかったのでしょう。

直にお釈迦さんから教えを聞きたかったのでしょう。

中には、お釈迦さんに直に会えない事に、長い間顔を見ていないことに、不安を覚えていた人もいました。

しかし、基本的に遊行し、安居の際にも各々が立ち寄りやすい場所に集まったでしょうから、モッガラーナさんも正確な位置まで把握できていたとは考えにくいです。

では、正直に「知りません」と答えられるでしょうか?

「お釈迦さんはここにはいないんだから、安居の期間、定められた通り、各自、それぞれの持ち場、修行の場に戻りなさい」なんてことを、モッガラーナさんは言える人ではありませんでした。

モッガラーナさんはこのように答えました。

須弥山しゅみせんの頂上にいますよ。その石の上で、母や三十三天の為に、説法されていますよ」

須弥山というのは、仏教でもたびたび、出てきますが、古代インドの神話を基に考えられた架空の山です。

古代インドの世界観では、この須弥山という山が世界の中心であり、聖なる山とされていました。

バラモン教と呼ばれる宗教や文化が広く浸透していた当時の古代インドの人々にとっては、「ああ、どこかで聞いたことある!」と思うような、広く知られた話でした。

霊鷲山りょうじゅせん(現在はチャタ山)と呼ばれる小高い山は、お釈迦さんが説法をした地の一つと言われ、お釈迦さんの活動地点でもありました。

ですから、モッガラーナさんは、ひょっとしたらお釈迦さんは霊鷲山にいる可能性があると思いながら、古代インドの人々に広く知られている須弥山の話を引用したのかもしれません。

また、三十三天とありますが、古代インド文化、バラモン教を中心とする文化では、天というのは、神を意味します。

バラモン教は多神教に分類されます。日本と同じようにたくさんの神々がいます。そして、その多くは、自然現象が神格化されたものです。

なので、三十三天は、自然そのものを表現しているものとして受け取ることもできるのではないでしょうか。

以上のことを踏まえると、私の中では、モッガラーナさんの言葉の背景に、また更なる言葉が浮かんできます。

「私もお釈迦さんがどこにいるかはわかりません。しかし、山の頂上にはそらが広がっています。

あなた達も見上げてみてください。ここにも天が広がっています。山の頂き、そしてここも、天と天はつながっています。

ひょっとしたらお釈迦さんも同じ天をご覧になっているかもしれません。

きっと、そのそらもと、説法されていることでしょう。

また、その説法は亡き母に、また天にも届き、通じていることでしょう。

そう考えると、私達のいるこの場にも、またお釈迦さんの説法が届き、通じているのではないでしょうか」

芸術というのも受け取り方人それぞれですが、モッガラーナさんの言葉には、そんな芸術的センスを含んだ表現力があったのかもしれません。

いずれにせよ、モッガラーナさんの言葉を聞いただけで、心満たされた人達は、礼を言って、各々の場へ帰っていきました。

しかし、この話にはまだ続きがあります。

また数カ月が経ったある日、同じ人達が、またモッガラーナさんの所へやってきました。

今までの安居の期間中、やはりお釈迦さんに一度も会えない事に不安を覚え、再びモッガラーナさんの所へやってきたのでしょう。

それを表すように彼らはお釈迦さんの安否をモッガラーナさんに問います。

「お釈迦さんは病気ではないですか?」

「本当に元気にされていますか?」

そしてモッガラーナさんは答えます。

この時も、モッガラーナさんは前回と同じように、彼らを励まし、そして安心させました。

その際も描写も、神通力を用いて、様々な表現がなされています。

神通力というのは、人々をどこか安心させる、巧みな表現力だったのかもしれません。

少なくとも、私には、モッガラーナさんは、当時広く知られた神話を用いて、情緒ある表現を用いるのが得意な人物に思えるのです。

その巧みで豊かな表現力で、他の人にアドバイスしたり、励ましたりと、頼りにされていたのかもしれませんね。

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