サーリプッタさんは、お釈迦さんの弟子の中でも、智慧第一と称される有名な人物です。
シャーリプトラとも呼ばれ、漢訳では舎利弗または舎利子とも表記されています。
後述するモッガラーナさんと合わせて、二大弟子とも称され、この二人がお釈迦さんの後継者として目されていたとも言われています。
しかし、この二人はお釈迦さんより先に亡くなってしまいました。
経典から探るサーリプッタさんの人物像
仏典では「智慧第一」のように、それぞれの分野に秀でた者にはそれぞれ「○○第一」(例えば後述する「神通第一」など)と称されることがあります。
よく「○○第一」と称される10人を集めて、十大弟子(お釈迦さんの主要な弟子10人)とも称されることがあります。
その十大弟子の中にあって、まず一番に名前が挙がるのが、このサーリプッタさんです。
ちなみに、この十大弟子に入る人物は文献によって違います。また、古い経典の中では、優れた能力を持つ人物を数十名あげて「○○第一」と列記しているので、「○○第一」と呼ばれる弟子は、必ずしも十人とは限りません。
教え語り合う広い交友関係
さて、このサーリプッタさんですが、智慧第一と呼ばれることがあって、古い経典の中において、教えを説いている場面を見かけます。
お釈迦さんが人に教えを説く、あるいは尋ねられるのは当然ですが、サーリプッタさんがその役割を担っていることがあります。後、余談ですが、アーナンダさんも割と多いです。実際に数えたことはありませんが……。
そんなところからも、サーリプッタさんが仏弟子たちの智慧袋として頼りにされていたのだなぁと感じることができます。
また、経典内で、仏教以外の善知識と対話するサーリプッタさんを見かけることがあります。
「善知識」というのは、そのまま読めば善い知識。一般的に言えば知識は単に知っている「事柄」を意味します。しかし仏教で善知識は正しい道理を教え導いてくれる「人」を指します。(仏教エピソード第22話)
つまり善知識とは、善き友人とも言えます。そんな善き友人が内外にいたサーリプッタさんは、結構交友関係が広かったのではないでしょうか。
友人達(善知識)に恵まれたことも、智慧第一と称される理由なのかもしれませんね。
人とのつながりを大切にする
もちろん、恵まれた交友関係には、サーリプッタさんの人柄、人と人とのつながりを大切にする姿勢があったからだと考えます。
親友との約束
サーリプッタさんの友人と言えば、モッガラーナさんを忘れてはいけません。
同じくお釈迦さんの弟子である「神通第一」と称されるモッガラーナ(目犍連)さんとは、お釈迦さんと出会う前からの親しい友人でした。
サーリプッタさんはナーラカ村の生まれ、そしてその近くの村であるコーリタ村でモッガラーナさんは生まれました。
この二人が、あるお祭りに参加した際、そこでふれた人間の姿を見て、疑問を感じ、出家を決意したようです。
お祭りといっても現在のようなお祭りではなく、昔の祭事ですから、いかがわしい雰囲気のあるお祭りもあったようです。
そんなこともあったからでしょうか。親友であるモッガラーナさんとは、「この人だ!」と思える人が見つかった場合、互いに知らせるように約束をしていた行が、経典内にあります。
さて、出家を決意した二人ですが、すぐにお釈迦さんの弟子になったわけではありません。
それまでに、別の思想家の先生の下についていました。
しかし、ある時、サーリプッタさんは、托鉢中の修行僧に出会います。お釈迦さんの弟子であるアッサジ(阿説示)さんです。
恩人には足を向けて寝ない
アッサジさんは、一番最初にお釈迦さんの弟子となった5人の内の1人です。
このアッサジさんの托鉢する姿がどうしても気になったサーリプッタさんは、アッサジさんに教えを請いました。
しかし、アッサジさんは説法が得意でありません。「師匠であるお釈迦さんの説を上手く語ることはできません」と、サーリプッタさんの要望に対して躊躇しました。
「でも、どうしても聞きたい。下手でもいいから、その教えの片鱗だけでも聞かせてほしい」とサーリプッタさんは食い下がり、アッサジさんは偈文(お釈迦さんの教えを詩にしたもの)を説きました。
それを聞き、サーリプッタさんは、お釈迦さんの弟子になることを決意したと言われています。そして、親友であるモッガラーナさんにも約束通り、声をかけ、二人共々、お釈迦さんの弟子となりました。
また、お釈迦さんの弟子になるきっかけを与えてくれたアッサジさんには、足を向けて寝なかった、なんていうエピソードもあります。
とうの昔に結んだ友人との約束を忘れずに果たす姿。
大切なきっかけをくれた恩人には足を向けて寝ない律儀さ。
そのような所からも、サーリプッタさんが如何に人との出会い、つながりを大切にしていたか、を垣間見ることができます。